プレスリリース

小児がんの子どもたちのキャンプの様子を10年間にわたり記録したドキュメンタリー映画「風のかたち」が完成した。

私は母校の順天堂大学で小児がんの診療に約20年関わった後、8年前、高知に帰って開業した。
小児がんは成人のがんとはその種類も生物学的特性も大きな違いがある。また、治療に対する反応も異なり、抗がん剤や放射線治療がよく効く。
今では小児がんの約80%は完治するようになり、既に多くの小児がん経験者が成人している。
しかし、幼い子供ががんになることのインパクトは本人もとより、家族に対しても計り知れないものがある。それだけに、家族全体を視野に入れたトータルで継続的なケアが必要とされている。

1997年夏、7人の小児がんの子どもたちが俳優のポールニューマン氏が主催するコネチカット州のキャンプ場に招待された。1988年に開設されたこのキャンプには毎年世界中から約1000人の子供たちが訪れる。広大なキャンプ場には湖があり、プールや体育館の他に劇場もあった。子供たちの世話をするのはカウンセラーと呼ばれ若者たちはる主に東部の大学生であり、ニューヨークやボストンから休暇をとってやってきたビジネスマンもいた。
オープンから10年目を迎えていたこのキャンプの卒業生の多くが既に大学生や社会人になっていて、カウンセラーとして戻ってきていた。子供たちは暖かい雰囲気の中で、同じ経験をした仲間にしか分からない思いを語り合い、短い間に強い絆が生まれていた。最後の夜には全員が劇場に集まり、参加者一人ひとりがステージに呼ばれ終了書が渡された。フィナーレは子供たちの写真が次々にスクリーンに写しだされるスライドショーであった。心の底から笑っている子供たちの顔が今も鮮やかに思い出される。

帰国した私は仲間たちにキャンプの様子を熱っぽく語った。そして、翌年、日本でも小児がんのキャンプが始まった。毎日新聞の「小児がん撲滅キャンペーン」に寄せられた読者からの寄付から援助を頂いた。発起人となった3人の児科医、細谷亮太、月本一郎、石本浩市の名前をとってキャンプにはスマート・ムン・ストーンというしゃれたニックネームが付いた。スマート(細)、ムン(月)、ストーン(石)というわけである。
当時、日本では少数派であった告知を受けている子どもたちに参加を呼びかけ、ボランティアを含む100人近い規模でスタートした。7月終わりの3日から4日間を大自然の中で遊び、夜は普段学校の友達に話せないことを語り合った。最初の2年間は三浦海岸で、その後は清里、阿蘇、北海道(滝川)と回り、2年前からは再び清里に戻った。

このキャンプの様子は2年目からドキュメンタリー映画の伊勢真一監督により記録されてきた。
幼くして命と正面から向き合わざるを得なかった彼らは、その闘病生活を通して生きていく上で最も大切なことを知っている。10年前に映像の中で看護師や保育士になりたいと語っていた彼らの多くが、その夢を実際に叶えている。あの時の少女の中の2人は母親になり、今年のキャンプには子供と一緒に参加するという。キャンプの代表者である細谷先生の「10年撮ったらベネティア映画祭に行こう」という半分冗談のような言葉は今、にわかに現実味をおびてきた。
「ヨット、ヨット、風のかたちは帆のかたち」。
三浦海岸で子供たちを乗せたクルーザーが疾走する様子を詠んだ細谷先生の句である。
映画「風のかたち」の上映は7月に始まる。高知でも自主上映会を予定している。乞、ご期待。
(高知新聞 平成21年5月29日)
5年間を振り返って
早いもので今年の7月で開院以来5年が経ちました。
当クリニックを訪れた初診患者さんは間もなく9,000人に達します。開業した時に考えたことは、
  1. とにかく郷里の人たちの役に立ちたい
  2. 自分が治療した小児がんの子どもたちの成長を見守るために順天堂大学での長期フォローアップ外来を続けたい
  3. 開業する日を長い間待ってくれた母に親孝行したい
という、3つのことでした。
一つ目は皆さんに評価して頂くとして、2つ目は5年間継続することができました。
この外来はわが国で初めての試みであったため、今では全国から注目されるようになりました。
3つ目の目標は残念ながら果たす間もなく、母はその年の11月に逝ってしまいました。人生なかなかうまくいかないものですね。
小児科医の役割とは
今回はあらためて小児科医について私の考えを述べてみたいと思います。
小児科医は子供の病気を治す医者ですが、同時に健診や予防接種を行い、子供の健康を守るという重要な役割も持っています。

子供の問題は親や家族の問題と密接に関係しており、さらに子供たちが生活している地域とも関わりがあります。 子供を診察する際は単に子供を診るのではなく、その家族や地域のことも考えながら診るという姿勢が必要だと思っています。

ここ数年、小児科医不足が社会問題となっていますが、少子化なのに何故小児科医が足りないのでしょうか?
実際に生活は豊かになり衛生状態も改善され、昔のように感染症などの急性疾患で子供が亡くなることはほとんど無くなりました。
その一方で、育児不安を抱える親が増え、子供の心の問題も深刻化しています。
また、成人になって出てくる様々な心身の問題の遠因は小児期にあることも少なくないことが分かってきました。
小児科医が役に立ちそうな分野がどんどん広がってきています。小児科医自身も視野広げて、多方面から子供とその家族を支援したいと考えています。

過去20~30年間、医学は高度に専門化され各臓器別に専門医が育成されてきました。
その結果、病気の治療は進歩しましたが、一方で自分が専門とする病気しか分からないという医師も少なくないのが現実です。 しかし、病む人の問題は生物学的な問題だけではありません。その人の存在全体を診る視点が欠かせません。
小児医療も専門化が進んでいますが、それでも小児科医は子どもの全身を診るという視点を常に持っています。
そして何より子供の成長を長い時間軸で見守るという特別な役割を持っています。これこそ小児科医の醍醐味なのです。
親の健康も守りたい
子供が健やかに育つためには親にも心身ともに健康であって欲しいと願っています。
育児や家事に忙しく、体調が悪くても自分のために医療機関に行くことのできない母親の健康状態に気を配るのも小児科医の仕事と考えています。
実際に子供を連れてきた母親が抱えている重大な病気を発見したことも少なくありません。
その経験を昨年「小児科医が見つける母親の病気」として学会発表したところ、予想を上回る反響を得ました。

また、仕事に忙しい父親の生活習慣病も気になります。特に親の喫煙問題は受動喫煙から子供を守るという点からも小児科医が取り組むべき重要なテーマと考えています。
喫煙に対する社会の目は年々厳しくなってきており、タバコの価格もまた値上がりしました。
今年6月、国は喫煙習慣を「ニコチン依存症」として治療すべき病気と認定し、ニコチンパッチを使った禁煙指導を「ニコチン依存症管理料」として保険適応にしました。

医療機関が保険診療で禁煙指導を行うためにはいくつかの基準を満たさなければなりません。
その一つが診療所内だけでなく駐車場も含めた敷地内を禁煙にすることです。
当クリニックも施設基準を満たして、今月から保険診療ができる施設として認可されました。
タバコを止めたいと思っている方は是非ご相談下さい。
(平成18年8月 日章公民館ニュース)
我が禁煙記
今回はタバコをすっているお父さんやおじいちゃん、もちろんお母さんにもご本人の健康のためだけでなく、お子供さんやお孫さんのための禁煙のお話しです。
かくゆう私も恥ずかしながら長い間喫煙者でしたが、ある日を堺にぴったりと止めました。

以前も書きましたように私はがんの子供の診療に長く関わってきました。今や小児がんにかかった人の70%は治るようになりました。

私は成人した元小児がん患者が抱える様々な問題を支援するため月に1度上京して、順天堂大学で7年前から始めた長期フォローアップ外来を続けています。
その外来に3年前のある日、20歳代の元白血病患者の2人の青年が受診しました。2人ともタバコの匂いがするため聞くと、毎日20本以上すっているとのことでした。
せっかく苦労してがんを克服した人たちがヘビスモーカーになっていることを知って私は愕然としました。
何とかこの人たちに禁煙してもらわなければと思ったその日から、私自身全くたばこをすうことができなくなりました。
タバコの害
タバコの害については耳にたこができるほど聞かされているかと思いますが、もう一度おさらいしてみます。
タバコの煙は喫煙者が吸い込む主流煙とタバコから立ちのぼる副流煙がありますが、有害物質の多くがこの副流煙に含まれています。

自分の意志とは関係なくタバコの煙を吸い込むことを受動喫煙といいます。特に成長発達過程にある子供は家族が吸うタバコの煙により様々な健康被害を受けやすい存在です。
具体的には受動喫煙により喘息、気管支炎、中耳炎にかかりやすくなります。

赤ちゃんの突然死(乳児突然死症候群)の約60%は親の喫煙が原因とされています。また、妊婦の喫煙により胎児も大きな影響を受けます。
母親の喫煙により胎児の発育が悪くなるだけでなく、将来落ち着きのない子供や、キレやすい子供になりやすいことも明らかになってきました。
喫煙の悪影響は全臓器に及びます。全身のあらゆるがん、特に肺がん、喉頭がん、口腔がん、食道がん、胃がん、すい臓がん、膀胱がん、白血病などは喫煙が主な原因とされています。
呼吸器の病気としては慢性気管支炎や肺気腫など慢性閉塞性肺疾患(COPD)と呼ばれる病気は喫煙が原因で起こります。
最近、特にCOPDが注目されていますが、効果的な治療法はなく最後は酸素吸入で命をつなぐことになります。

また喫煙は心筋梗塞や脳梗塞の重要な危険因子でもあります。
米国では1970年代から上昇し続けていたがんの死亡率が1994年から減少に転じていますが、これは禁煙率の低下が主に寄与していると考えられています。
その一方で日本のがん死亡率は上昇し続けています。また、心筋梗塞の死亡率もアメリカでは3分の一も減っていますが、日本では逆に1.6倍増えています。
たばこに対する大いな誤解
喫煙者はタバコがストレスを解消してくれるとよく言いますがこれは本当でしょうか?
タバコをすうと数秒でニコチンが脳に達して、快感を引き起こし、気分がよくなったように感じます。
ただそれは一時的なことで、ニコチンが切れるとまたすいたくなって、次々にタバコに手がいってしまいます。
喫煙によって解消されるストレスとは実はニコチン切れによるストレスであって、本来喫煙しなければ存在しないストレスなのです。
喫煙者の脳はタバコという詐欺師に洗脳されているともいえるのです。

軽いたばこに変える方法はどうでしょうか?これはたばこ会社の戦略にまんまと乗ってしまうことになります。
軽いタバコに変えるとニコチンが欲しいために吸う本数が増え、知らず知らずのうちに肺の奥まで吸い込むようになります。
その結果より多くの発がん物質を吸い込むことになってしまうのです。

それでは本数を減らすのはどうでしょうか?
本数が減った分、ニコチン切れがひどいので、我慢した後の1本が本当においしい一服になってしまいます。
つまり、本数を減らしている間の努力はまるで逆効果で、タバコは本当にいいものだ、自分はタバコなしではやっていけないと心に刻み付けているようなものなのです。
具体的な禁煙方法
いくら禁煙の害を説明しても、適切な禁煙の方法を指導できなければ片手落ちといえます。
最近の大きな進歩はニコチン代替法ができたことです。ニコチンパッチと呼ばれるテープを貼ると皮膚からニコチンが吸収されてタバコをすったと同じような感じになり我慢ができます。
実際に驚くほどの効果で、貼って5分程で吸いたい気持ちが無くなります。
このテープをうまく使うことにより禁煙をスタートすることは本当に容易になりまた。 ただし、ニコチンパッチにより身体的な依存は解消されても、精神的な依存から抜け出すのは容易ではありません。

そこで、先に述べたように喫煙という行為は単にニコチン中毒にはまっているという理屈を心に焼き付けることも重要な作業です。
最近は高知県下にも禁煙外来ができてきており、専門的に禁煙方法を指導してくれるとところも増えてきています。
ただし、保険診療にはなっていませんので、ニコチンパッチの代金(1枚約420円)や指導料は実費になります。

私のクリニックでもご希望の方には禁煙指導しています。
ご自分の健康のために禁煙するという方も、この際お子さんやお孫のために禁煙したいとう方も遠慮なくご相談下さい。
(平成18年8月 日章公民館ニュース)

子供の生活習慣

親が子供にあげる最高の贈り物のひとつは正しい生活習慣を身につけさせてあげることだと思います。昔からしつけと呼ばれていたものです。
今や成人の最大の健康問題は生活習慣病といえますが、この生活習慣の多くは幼児期にできるといっても過言ではないでしょう。
つまり生活習慣病の一部は小児期から始まっているといえます。
その中でも最近、特に小児科医の間で注目されている食事の習慣と、テレビ視聴の問題について今回は書いてみます。

食事の習慣について
最近、朝食をとらない子供が増えています。ある調査によれば、3歳児の25%、小学生4の7%、中学生1年生の13%は朝食を食べてないとされています。
朝食を食べない子供は食べている子に比べると小学校低学年までは、身長が低く体重も少なくなります。
ところが、学年が進むにつれて徐々に体重が増えて、小学校4年になると、むしろ肥満傾向になることが最近の研究で明らかにされました。

その理由を明らかにするために生活習慣を詳しく調べた結果、この子供たちは夜遅くまでテレビを見ていたり、夜食を食べたりして、就寝時間が遅いために、結局は朝起きられなくなり、朝食を摂ることができなくなっていることが分かりました。
また、その子供たちの親も夜更かしで、朝食を抜いていることが多いのが実情です。

さらに、1年生以降は長時間テレビを見たり、ゲームをしたりして、外で遊ぶ時間が少なく、運動不足となり、結局肥満児なってゆくのです。
つまり朝食を欠食する習慣は3歳頃からみられ、その他の様々な生活習慣と連鎖し、小学校4年以降の肥満を引き起こすらしいことが分かりました。
テレビ視聴と小児の発達
最近、新しいタイプの言葉の遅れが問題になっています。
この子達は親の言葉に反応しない、表情に乏しい、自分の考えを言葉で表現するのが苦手でコミュニケーションに問題を抱えています。
一見自閉症の症状に似ています。しかし、よくよく親の話を聞いてみると、生れた時からずっとテレビやビデオがついている環境で育てられていたり、何らかの家庭環境の変化で生後1年頃からテレビ漬けだったことが明らかにされています。
乳幼児期は親子の生身の接触が最も必要で重要な時期です。この時期にテレビからの一方的な情報に赤ちゃんをさらし続けると、肝心な心の発達に支障をきたすことは容易に想像できます。
これは良質とされている教育番組やビデオ教材でも同じであると言われています。

こうしたことが原因で言葉の発達に遅れがある場合は、テレビを消して親が子供と1対1で遊ぶことが唯一の解決法とされています。
重要なことは早い時期に気付いてあげることで、1歳までなら1ヶ月で見違えるように表情が豊かになり、3歳までならよくなる可能性があるものの、時にコミュニケーションがとれないまま育つことあるとされています。
これらのことは現在まだ研究中で確定的でない点もありますが、いずれにしても長時間テレビを見たりゲームをしたりすることは子供の健全な精神発達にとって悪影響を与えることは専門家の一致した意見です。

そこで小児科医が中心になって、2歳まではテレビを消して、家族同士の豊かなコミュニケーションをつくることを提唱しています。テレビを見ない生活なんて考えられないと思われる方も少なくないと思いますが、やってみると意外な効果に驚いたとの反響が多く聞かれています。

夫婦の会話が増えたという話もよく耳にします。 食習慣とテレビ視聴は一見別の生活習慣のように思われますが、実はお互いに深い関係があることいえます。
子供たちのこれらの生活習慣は結局、親の生活習慣を反映したものであり、親がしっかりとお手本を示すことが、ひいては子供たちの長い人生にとっても重要な意味を持つことがお分かりいただけると思います。
(平成17年5月 日章公民館ニュース)
小児科医の役割は子どもの健康を守ることです。さらに現在の小児科医は子育て支援も重要な仕事と考えています。
私が開業して3年半が経ちましたが、この間子供たちを連れてくる母親を見ていて重要なことに気付きました。それは子育てや家事に追われている母親は体調が悪くても自分のために医療機関にかかることはほとんどないということです。
子育てに奮闘中の母親は主に20歳代から30歳代の女性で、この年代の女性が実際に重大な病気にかかることは稀です。子どもの風邪をもらって具合が悪くなることがほとんどですが、それでも家事や育児に忙しい母親にとってはつらいものです。
今回は子育て中の女性に比較的多い健康問題について書いてみたいと思います。

(1)鉄欠乏性貧血
鉄分が不足するために起こる貧血ですが、若い女性には潜在的な患者さんが少なくありません。
女性は生理による出血があるため男性より貧血になりやすく、また妊娠により子どもに鉄分を取られるため貧血になりやすいのです。
先日も肺炎にかかった子どもを連れてきた母親の顔色がとても悪いので、説明して検査をしたところ貧血が強く、ヘモグロビンは健康な人の半分くらいしかありませんでした。貧血なると疲れやすくなりますが、本人は全く気付いていませんでした。これは貧血が少しずつ進むためで、体がその状態に慣れてしまい、このお母さんのように意外に自覚症状が乏しいことも珍しくありません。この方は鉄剤を服用して速やかに貧血は改善しました。

(2)甲状腺の病気
甲状腺の病気も若い女性に多い病気で、妊娠を契機に発症することもあります。 ホルモンの分泌が過剰になる機能亢進症(バセドウ病)と逆にホルモンが少なくなる機能低下症があります。
やはり風邪の子どもを連れてきたお母さんの顔色が悪く、顔も浮腫んでいたので検査をしました。貧血を認めた上にコレステロールの値が異常に高いため、詳しく調べたところ甲状腺機能低下症であることが分かりました。この病気になると元気がなくなり、気分が落ち込み、顔や足が浮腫みます。JA高病院の内科で甲状腺ホルモンの投与を受け、全ての症状は改善しました。

(3)片頭痛
片頭痛は若い女性に多く、特に30歳代の女性の5人に1人は片頭痛を持っているといわれています。
症状は特徴的でズキンズキンと拍動性の激しい痛みを認め、数時間から長いと3日間ほど続くこともあります。動くと痛みが増強し、吐き気や嘔吐を伴うこともあり、日常生活が著しく障害されます。
頭痛は本人にしかわからない痛みであり、周囲からは神経質であるとか、怠けているようにとられることさえありますが、本人にとってはとてもつらく家事や育児どころではなくなるものです。
ほとんどの人は市販の痛み止めを服用していますが、最近トリプタンとよばれる特効薬ができて、その治療法が一変しました。この薬を服用すると1~2時間で痛みが消失します。片頭痛持ちのお母さんは是非ご相談下さい。
小児科医は子どもの健康を守るプロフェッショナルですが、同時に母親の健康状態にも配慮したあげることも重要であり、私はそのことが子育て支援にもつながるものと考えています。
お母さん自身の体調についても遠慮なくご相談下さい。

(平成17年7月 日章公民館ニュース 【平成21年7月改筆】)

小児がん経験者の話

故郷に帰って小児科内科クリニックを開業して、早いもので3年が経ちました。
この間地元の皆様には物心両面でいろいろお世話になりました。おかげさまで今ではすっかり地元になじみ、快適に仕事に専念できるようになりました。
あらためて皆さんにお礼を申し上げます。 さて、私は医学部を卒業したら早い時期に帰って地元の皆さんのために働こうと考えていました。
ところが医学部の5年生の病棟実習で受け持った3歳の白血病の男児に出会ったことがきっかけで小児医なることを決意しました。今振り返っても運命的な出会いでした。

当時、1970年代後半は白血病といえばまだ、不治の病という時代でした。その子は、とても利発で可愛い子でした。
ご両親の悲嘆は想像を絶するもので、学生でしたがなんとかしてあげたいという気持ちになりました。
順天堂大学を卒業後小児科医になり、約20年にわたり子供の白血病や小児がんの診療に従事してきました。
この間の医学の進歩は素晴らしく、いまや小児がんの70%は治る時代になりました。多くの病気の子供たちに接し、その家族とも交流を持ってきました。
小児白血病は3~6歳くらいに発症することが多く、今や私達が治療にかかわってきた子供たちの多くが治癒し、成人になりつつあります。
実際に社会人として活躍している人も少なくありません。中には看護師や医師になった人もいます。

その一方で、様々な問題もあって苦労している患者さんも少なくありません。
小児がんに対する社会の認識不足のため実際に治っているのに入学や就職の際、差別を受けたり、また治療による慢性的な副作用(晩期障害)に苦しんだりしている人もいます。
晩期障害は投与された抗がん剤や放射線照射が原因で起こりますが、具体的には輸血によるC型肝炎、成長障害、神経障害、側湾症、心理社会的問題など多岐にわたります。
厳しい治療により治癒した後も様々な障害と闘わねばなりません。

私は1988年に順天堂大学に小児がん経験者のための長期フォローアップ外来を日本で初めて開設しました。
対象は高校生以上になった元小児がん患者ですが、彼らのほとんどは元の病気は治っているものの、晩期障害や様々な心理社会的問題を抱えているために、この外来で診察のみでなく様々な相談にのっています。
未だ多くの施設では病気が治った後のケアは十分ではありません。

私が高知に帰った後も第2,4木曜を休診にして上京しているのは、この外来を継続するためです。
小児白血病は薬の投与のみで治った最初のがんであり、近年のがん治療のサクセス・ストーリーの最たるものとされています。
子供の場合、病気を克服した後の人生は長く、思春期の悩み、晩期障害の問題、小児医療から成人医療への移行など問題は山積しています。
上京の際は朝1番の飛行機に乗ると順天堂には10時に着きます。午前、午後と外来で彼らの話を聞いて、翌朝1番の便で帰ると10時過ぎからクリニックでの診療が可能です。
こうして開院前に計画していたことを3年間やってきました。もう少し頑張って小児がん経験者の将来を見守りたいと思っています。
(平成16年 日章公民館ニュース)

子供の病気の特徴

今回は子供の病気の特徴について書いてみます。
まず大事なことは子供は大人を単に小さくしたものではないということです。
元気に遊んでいた子供が急に具合が悪くなり、一旦病気になるとその進行も早く、迅速な対応がなされないとありふれた病気でも命を失うことさえあります。
その一方で強い治療に耐える生命力も強く、適切な治療さえすれば回復も早いのも特徴です。
例えば嘔吐や下痢にしても子供は脱水になりやすく、ぐったりして受診しますが、1本の点滴ですっかり元気になり、笑顔が見られることもまれではありません。

子供の病気は年齢によって違う
子供はその年齢によって乳児、幼児、学童と分けられますが、同じ病気でも年齢によって原因や症状の出方が違ったりします。子供はよく感染症にかかり熱を出しますが、3ヶ月未満の乳児が38.5度以上の熱を出した場合は、重症感染の可能性が高く、少なくても血液検査を行い、場合によってはさらに詳しい検査を行い、敗血症や髄膜炎などの重症感染がないかどうか慎重に観察する必要があります。

細菌性髄膜炎は重症の感染症で死亡することもあり、また、救命しても神経学的な後遺症を残すことがあります。
この髄膜炎も乳児期早期、乳児期後期、幼児期で原因となる菌が違ってきます。
症状も乳児期ではたんに機嫌が悪かったり、オムツを替えるときにぐずってなくこともあります。
重症疾患であるのに特徴的な症状がないことがあり小児科専門医の診察が必要です。
子供病気は季節によって違う
8月、9月は病気も少なく、昔から柿が黄色くなる頃には医者が青くなるといわれています。
その一方で、冬のインフルエンザの流行時には100人を超す患者さんが押し寄せ、小児科医にとっても肉体的にきつい時期です。

感染性の胃腸炎(嘔吐下痢症)は1年中みられますが、冬から春先にかけて特に多く、原因はほとんどがウイルス感染です。
春先に流行する胃腸炎の原因はロタウイルスが多く、発熱を伴い便の色が白くなるのが特徴で、脱水になりやすく入院が必要になることも稀ではありません。

夏になると今度は病原性大腸菌、サルモネラ、キャンピロバクターなどの細菌によるものが多くなるので注意が必要です。
細菌性腸炎の場合は便に血液や粘液が含まれることが多く、便性を観察することが重要です。

また、5~6月や10月など季節の変わり目には喘息発作が急増します。
今はまさに喘息シーズンで当クリニックの吸入器も一日中大活躍しています。
上手な小児科のかかり方
小児科に子供を連れてくる保護者は多くは母親ですが、父親や祖父母が来ることもあります。
母親以外の保護者が来た場合、時に子供の病気の経過が良く分からないことがあります。
例えば一緒に来たおじちゃんは「嫁に医者に連れて行くように言われただけで、詳しいことは分からん」と言われ、子供に聞いても要領を得ず困ることがあります。
こういうと時はお母さんのちょっとした経過を書いたメモでもあれば小児科医としては大いに助かります。

やっぱり子供の様子を一番理解しているのは母親ですし、母親が子供の様子がおかしいという場合は、小児科医は特に慎重に診察をします。
実際に母親の感があたっていることが多いものです。
また、体に発疹が出た場合や、普段と違う便が出た場合はデジカメなどで撮って持って来てもらうと、原因がすぐに分かることがあります。
最近はカメラ付携帯も普及しており、実際に携帯で撮影した様子を見せてくれる母親もいます。

最大の問題は夜間や休日に病気になった場合です。
私も開院当時は、留守電に自宅の電話番号を入れて、救急の場合は対応していました。
しかし、患者さんが徐々に増えて、肉体的にも精神的にも夜間の対応はできなくなりました。
小児救急の問題はご承知のように全国的な社会問題となっています。

高知県ではこの問題に対応するために平成11年から高知市の急患センターで午後8時から11時までは小児科の専門医が診察するシステムができており、私もこれに参加しています。
それに11時以降の深夜帯は県立中央病院や高知医大などの6つの総合病院が輪番で対応するようになっており、いつでも小児科専門医の診察を受けることができます。
このような休日夜間の情報は救急医療情報センター(TEL 088-825-1299)に問い合わせば教えてくれます。
(平成17年9月 日章公民館ニュース)

ウクライナのオデッサに行くため成田を発ったのは昨年の十月三日であった。
エリツィン大統領が突然訪日を中止した直後で、また、ロシアでは経済状態が逼迫し厳しい冬を控えて食料不足も懸念されていた。

訪問の目的は医療協力であったが、そういう大義名分とは別に自分の目で実際にロシアやウクライナの状況を見てみたいという強い好奇心に駆られていた。

モスクワのシェルネチボ空港に着いたのは夕方の六時過ぎであった。
入国のカウンターでさっそく、「DOyouhave Cigarettes?」と聞かれた。
少々驚きながらも、そういうものかと思い直しタバコを差し出すと、ろくにパスポートも見ないで通された。
出迎えの人を探してうろうろしていると、背中を叩かれた。
振り向くと初老の男性が 「Ishimoto to Odes-sa」と書かれたプラカードを持って立っていた。
隣にはやはり同じプラカードを持った婦人が立っていた。どうやらこの夫婦が出迎えてくれたらしい。

夕闇のモスクワ郊外を串で足りながら懸命に意思の疎通をはかろうとしたが、英語がほとんど通じないため、この夫婦が誰なのかもわからず不安であった。
一時間程で国内便の空港であるヌコバ空港に着いた。林の中の空港ビルは薄暗くて、とてもそこがCIS全土への国内便の発着地とは思えないような場所であった。
ロビーは大きな袋や鞄を持った人々でごった返していた。殺気だった雰囲気を感じながら仔んでいると、突然殴りあいのけんかが始まった。
警察官が止めに入り収まったが、衝撃的なシーンであった。

二時間の飛行で目的地のオデッサに着いたのは真夜中であった。

オデッサからの手紙
ことの発端はオデッサ小児病院のレゾニック教授からの手紙であった。
チェルノブイリ原発の事故以来白血病の患者が増えているため、臨床研修をさせて欲しいとの要望であった。
当科の助教授と以前より国際学会で知り合いであったため打診してきたのであった。
既に彼はヨーロッパの国々や日本の複数の施設にコンタクトをとつたとのことであったが、結局受け入れたのは我々の大学だけであった。

こうして昨年の一月から二カ月間、オデッサ小児病院の血液科から部長のバレンチーナ医師とビクター医師が我々の病院に研修に訪れた。
二人の東京滞在中の費用についてはいくっかの製薬会社と江戸川区医師会に援助して頂いた。

彼らの話によると、医薬品が極端に不足している上に医療機器も十分ではないため、白血病の子供の十人に一人しか助けられないとのことであった。
現在、日本や欧米諸国での小児白血病の長期生存率は約七〇%に達しており、その殆どが治癒するものと考えられている。従って、この一〇%という数字は信じがたいものであった。
研修のかたわら、どのような援助ができるのか何度も話し合った。とにかく、今一番必要なものは治療薬であることは間違いないが、とりあえずは医療技術とシステム作りを学ぶことが先決であるとの結論に達した。
二人とも一生懸命研修したが、毎日がカルチャーショックの連続であったようだ。
東京では医薬品は何でも手に入るし、検査機器も揃っている。我々には当たり前のことではあるが、彼らには夢のような世界であった。
英語の小児科と血液学の教科書を進口王したが、約三万円のその費用も彼らにとつては数年分の年収に相当するとのことであった。
最終的に残った資金で顕微鏡を買って持ち帰ることになった。

帰国に際し荷物が一杯になってしまい、アエロフロート社から重量超過で多額の追加料金を請求されそうになったが、ロシア大使館から人道的援助であるとの証明書を貰い、ことなきを得た。
オデッサ小児病院
オデッサは黒海に面した美しい港町である。
小児病院は六百床のベッド数を持つこの地方の中心的な病院であり、血液科には約四十人の白血病を中心とする子供たちが入院していた。
白血病の患者は年々増えており、今年も十月までに二十例の新患の入院があったとのことであった。

私が滞在した僅か一週間の間にも三人の白血病の子供が入院してきたが、二人は再発例であり、既に肝臓や牌臓が大きく腫れ、進行した状態であった。
バレンチーナ部長と相談しながらできる限り患者を診て治療方針を立てたいと考えたが、なかなかうまくゆかない。彼女自身が患者数が多いこともあって各症例の状態やデータを十分把握できないようであった。特殊な難治性の白血病患者がいるとのことで相談を受けた。
既に四年間再発もなく経過しているが、いつまで治療したらよいかとの質問であった。
しかし、十分な薬もない状況で長期生存しているのは信じ難く、診断の根拠となった血液標本を見せてもらうことになった。

血液検査室にあったのは単眼の顕微鏡であった。覗いてみたが光量が弱くよく見えない。何と光は窓からの自然光であった。
だんだん絶望的な気持ちになりながら、「あの東京から持って帰ってきた顕微鏡はどうしたの?」と、ついつい大きな声を出してしまった。
「あれは盗まれるといけないので別の部屋に鍵を掛けてしまってみる。」という。
それでは何のために苦労して持ち帰ったのかわからない。
結局、標本をその顕微鏡で見たが、今度は標本がひどくて診断に堪えられるものではなかった。

ある日、キエフから子供が神経芽腫という小児焙で闘病中であるという父親がやって来た。
この病院で診断されて、今は放射線泊療を受けるためにキエフに行っているという。
いろいろ相談に乗っているうちに、モスクワで出迎えてくれた夫婦はこの人の親戚であることがわかった。やっと、あの親切な夫婦の正体がわかり納得したものであった。

三日目には予定していた白血病の講義を行った。百人程の学生と医師が聴衆であった。
居眠りされるのではと心配していたが、私の下手な英語にすっかり慣れているビクター医師の通訳のおかげでみんな熱心に耳を傾けてくれ、何とかわかってくれたようであった。
私が強調したかったのは子供の白血病の多くは今や治る病気であり、必要な薬さえあれば子供たちは救えるということであった。
講義を聴いた学生たちが喜んでくれたのは本当に嬉しかった。
これから医師になる若い人達に夢を持って欲しいというのが、私の最大の願いであったが、少しは役に立てたと思っている。

ビクター医師によれば東京に行く前は親に話をするとき「あなたのお子さんは白血病です。残念ながら治る希望は余りありません。仕方がないのです。」と目も見ずに話していたという。
こういう状況は親だけでなく医師も本当に辛いものである。
どうせ治らないのならと治療の途中で子供を連れて帰る親も多かったらしい。
「しかし、東京で確かに治っている子をたくさん見たし、条件さえ揃えば我々でも治せることがわかった。」親に対しても「希望はある。」と話せるようになったし、親の反応も以前とは違うとのことであった。
ポーランドはミニアメリカ
夜はバレンチーナ医師とビクター医師が交互に家に招いてくれて心温まる接待を受けた。二日目の夜はビクター医師の家で夕食を御馳走になった。
彼には医学部の学生である十八歳の息子と一歳になったばかりの可愛い女の子がいた。
驚いたことに奥さんはこの小さな子を残して二日後にはポーランドに出稼ぎに行くという。
深刻な話であるが二人とも何ということはないという態度であった。さらに驚いたことに出発を間近かに控えているのにもかかわらず列車の切符が手に入らないという。
ブラックマーケットに頼んであるので出発までにはたぶん手に入るとのことであった。
こうして彼女は二日後にはいなくなってしまった。

オデッサにいる間、このブラックマーケットという言葉を何度も耳にした。
あれだけ不足している薬もお金さえ出せばブラックマーケットで手に入るという。
考えてみれば旧ソ連時代に散々蹟潤した国が今や経済的には憧れの国となってしまっているのである。

ある時、オデッサの港を見下ろす高台を散歩しながらビクター医師が言った。
「いいかい、例えばあの港で働いている労働者が一日中座ってタバコをふかしていても、逆に一日中一生懸命働いても給料は同じなんだよ。なにせ平等なのだから。誰が真面目に働くと思う?」
長く続いた共産主義社会とは、わかりやすく言えばそういう社会だったのである。
教師の給料が最も安く、その次が医者で、炭坑や石油関連の労働者の収入が数倍多いといぅ社会でもあった。
この国では教育や医療が最も軽んじられてきたわけであり、その結果は私が見た医療現場にそのまま現れていた。
ウクライナの大地
あっという間の一週間であった。私はこの後ドイツで開かれる学会に出席する予定になっていた。
キエフまではビクター医師が車で送ってくれることになった。出発の朝、病院の車で若い運転手と共にアパートまで迎えに釆てくれた。
荷物をトランクに入れようとすると、ガソリンを入れたポリバケツで一杯であった。
キエフまでは往復1,000kmぁり、途中でガソリンの補給は難しいとのことであった。

朝八時過ぎにオデッサを出発し、ひたすらウクライナの平原を走り続けた。黒々とした豊かな大地がどこまでも続いていた。
(平成4年 産経新聞掲載記事)
明日(3日)からウクライナ(CIS)のオデッサへに行く。
私の専門は小児血液腫瘍(しゅよう)学で、子供の白血病や固形癌(がん)の診療と研究をしている。
今年初め、私と同じ分野を担当するオデッサ小児病院の専門医二人が来日し、私たちの病院で研修した。
チェルノブイリ原発事故以来、白血病が増えている-という援助要請を受けたものだった。

現在、日本や欧米諸国での小児白血病、特にその多くを占める急性リンパ性白血病患者の長期生存率は70~80%。多くは治癒すると考えられている。
しかし、医療品が絶対的に不足している向こうでは、十人に一人しか助けられないという。
オデッサは黒海に面した貿易港だが、病気の子が外国に行く船員に薬を頼むこともあるそうだ。
さらに、われわれは簡単に世界中の最新医療情報を得られるが、彼らはモスクワまで出向かなければならない。
治療成績を良くするには医療品や医療器具に加え、充実した看護や検査の態勢が不可欠だが、そのいづれもが不十分だ。
日本で新しい治療方法を学んだ彼らにとって、オデッサに戻ってからの診療はかえって辛いものになっているかもしれない・・・。
が、研修中、彼らの一人は言った。
「小児科医になったことを後悔してはいない」
互いの間に横たわるすべてのギャップを埋める言葉だった。
小児科は、我が国の医学生に最も不人気な科の一つとなってしまった。
小児人口の減少や手間と苦労の割に経済的に恵まれないことが大きな理由である。けれど、私は小児科学は夢のある学問であると信じている。
オデッサでは学生の講義も担当する。若い人たちに夢を持ってもらうこと。それがスタートと考えている。
(平成4年10月2日 産経新聞掲載記事)
ウクライナでの一週間の滞在を終え、小児がんの国際学会に出席するため、ドイツに向かった。
機内で久しぶりに新聞を手にした。「子供たちを救え」と題した記事に目。がいくユーゴスラビア紛争の話であった。
ユニセフ(国際児童基金)の報告では、今冬、百二十万人の子供たちが飢えと寒さで死に直面するだろう-と伝えている。
この数字は日本で一年間に生まれる子供の数に相当する。一九八四年に冬季オリンピックが開かれたサラエボではクリスマスまでに5,6mの積雪で、全ての道路と空港は閉ざされると予測されている。
驚いたことに、ドイツでの今回の学会には世界中の発展途上国から百五十人を超す医師が招待されていた。
地球上の全ての子供たちが近年の小児がん研究の進歩の恩恵を受ける権利があるとの考えに立ったものである。

アフリカや南米の医師とも話す機会があった。ペルーの医師に「薬はありますか」とたずねると、「薬はあるが、高くて医療費を払えない親が多い」との返事だった。
ウクライナでは、医療費は無料だが、薬がなかった。結局、状況は同じである。

実は、ウクライナのオデッサ小児病院の教授から、学会で会うヨーロッパの医師たちに援助の依頼をしてほしいと頼まれていた。
今回の学会の主催者であるハノーバー大学のリーム教授に、それを伝えたところ、急に険しい表情になった。
「われわれは旧東ドイツをはじめ、ユーゴスラビアにも多額の援助をしている。もちろん、旧ソビエトのめんどうも見ている。大変なんだ。日本は金持ちじゃないか。君たちももっと頑張ってほしい」
厳しい返事だった。
はからずもドイツが背負っている負担の大きさを知らされた。
(平成4年11月13日 産経新聞掲載記事)