プレスリリース

2013年7月アーカイブ

小児がんの子どもたちのキャンプの様子を10年間にわたり記録したドキュメンタリー映画「風のかたち」が完成した。

私は母校の順天堂大学で小児がんの診療に約20年関わった後、8年前、高知に帰って開業した。
小児がんは成人のがんとはその種類も生物学的特性も大きな違いがある。また、治療に対する反応も異なり、抗がん剤や放射線治療がよく効く。
今では小児がんの約80%は完治するようになり、既に多くの小児がん経験者が成人している。
しかし、幼い子供ががんになることのインパクトは本人もとより、家族に対しても計り知れないものがある。それだけに、家族全体を視野に入れたトータルで継続的なケアが必要とされている。

1997年夏、7人の小児がんの子どもたちが俳優のポールニューマン氏が主催するコネチカット州のキャンプ場に招待された。1988年に開設されたこのキャンプには毎年世界中から約1000人の子供たちが訪れる。広大なキャンプ場には湖があり、プールや体育館の他に劇場もあった。子供たちの世話をするのはカウンセラーと呼ばれ若者たちはる主に東部の大学生であり、ニューヨークやボストンから休暇をとってやってきたビジネスマンもいた。
オープンから10年目を迎えていたこのキャンプの卒業生の多くが既に大学生や社会人になっていて、カウンセラーとして戻ってきていた。子供たちは暖かい雰囲気の中で、同じ経験をした仲間にしか分からない思いを語り合い、短い間に強い絆が生まれていた。最後の夜には全員が劇場に集まり、参加者一人ひとりがステージに呼ばれ終了書が渡された。フィナーレは子供たちの写真が次々にスクリーンに写しだされるスライドショーであった。心の底から笑っている子供たちの顔が今も鮮やかに思い出される。

帰国した私は仲間たちにキャンプの様子を熱っぽく語った。そして、翌年、日本でも小児がんのキャンプが始まった。毎日新聞の「小児がん撲滅キャンペーン」に寄せられた読者からの寄付から援助を頂いた。発起人となった3人の児科医、細谷亮太、月本一郎、石本浩市の名前をとってキャンプにはスマート・ムン・ストーンというしゃれたニックネームが付いた。スマート(細)、ムン(月)、ストーン(石)というわけである。
当時、日本では少数派であった告知を受けている子どもたちに参加を呼びかけ、ボランティアを含む100人近い規模でスタートした。7月終わりの3日から4日間を大自然の中で遊び、夜は普段学校の友達に話せないことを語り合った。最初の2年間は三浦海岸で、その後は清里、阿蘇、北海道(滝川)と回り、2年前からは再び清里に戻った。

このキャンプの様子は2年目からドキュメンタリー映画の伊勢真一監督により記録されてきた。
幼くして命と正面から向き合わざるを得なかった彼らは、その闘病生活を通して生きていく上で最も大切なことを知っている。10年前に映像の中で看護師や保育士になりたいと語っていた彼らの多くが、その夢を実際に叶えている。あの時の少女の中の2人は母親になり、今年のキャンプには子供と一緒に参加するという。キャンプの代表者である細谷先生の「10年撮ったらベネティア映画祭に行こう」という半分冗談のような言葉は今、にわかに現実味をおびてきた。
「ヨット、ヨット、風のかたちは帆のかたち」。
三浦海岸で子供たちを乗せたクルーザーが疾走する様子を詠んだ細谷先生の句である。
映画「風のかたち」の上映は7月に始まる。高知でも自主上映会を予定している。乞、ご期待。
(高知新聞 平成21年5月29日)
5年間を振り返って
早いもので今年の7月で開院以来5年が経ちました。
当クリニックを訪れた初診患者さんは間もなく9,000人に達します。開業した時に考えたことは、
  1. とにかく郷里の人たちの役に立ちたい
  2. 自分が治療した小児がんの子どもたちの成長を見守るために順天堂大学での長期フォローアップ外来を続けたい
  3. 開業する日を長い間待ってくれた母に親孝行したい
という、3つのことでした。
一つ目は皆さんに評価して頂くとして、2つ目は5年間継続することができました。
この外来はわが国で初めての試みであったため、今では全国から注目されるようになりました。
3つ目の目標は残念ながら果たす間もなく、母はその年の11月に逝ってしまいました。人生なかなかうまくいかないものですね。
小児科医の役割とは
今回はあらためて小児科医について私の考えを述べてみたいと思います。
小児科医は子供の病気を治す医者ですが、同時に健診や予防接種を行い、子供の健康を守るという重要な役割も持っています。

子供の問題は親や家族の問題と密接に関係しており、さらに子供たちが生活している地域とも関わりがあります。 子供を診察する際は単に子供を診るのではなく、その家族や地域のことも考えながら診るという姿勢が必要だと思っています。

ここ数年、小児科医不足が社会問題となっていますが、少子化なのに何故小児科医が足りないのでしょうか?
実際に生活は豊かになり衛生状態も改善され、昔のように感染症などの急性疾患で子供が亡くなることはほとんど無くなりました。
その一方で、育児不安を抱える親が増え、子供の心の問題も深刻化しています。
また、成人になって出てくる様々な心身の問題の遠因は小児期にあることも少なくないことが分かってきました。
小児科医が役に立ちそうな分野がどんどん広がってきています。小児科医自身も視野広げて、多方面から子供とその家族を支援したいと考えています。

過去20~30年間、医学は高度に専門化され各臓器別に専門医が育成されてきました。
その結果、病気の治療は進歩しましたが、一方で自分が専門とする病気しか分からないという医師も少なくないのが現実です。 しかし、病む人の問題は生物学的な問題だけではありません。その人の存在全体を診る視点が欠かせません。
小児医療も専門化が進んでいますが、それでも小児科医は子どもの全身を診るという視点を常に持っています。
そして何より子供の成長を長い時間軸で見守るという特別な役割を持っています。これこそ小児科医の醍醐味なのです。
親の健康も守りたい
子供が健やかに育つためには親にも心身ともに健康であって欲しいと願っています。
育児や家事に忙しく、体調が悪くても自分のために医療機関に行くことのできない母親の健康状態に気を配るのも小児科医の仕事と考えています。
実際に子供を連れてきた母親が抱えている重大な病気を発見したことも少なくありません。
その経験を昨年「小児科医が見つける母親の病気」として学会発表したところ、予想を上回る反響を得ました。

また、仕事に忙しい父親の生活習慣病も気になります。特に親の喫煙問題は受動喫煙から子供を守るという点からも小児科医が取り組むべき重要なテーマと考えています。
喫煙に対する社会の目は年々厳しくなってきており、タバコの価格もまた値上がりしました。
今年6月、国は喫煙習慣を「ニコチン依存症」として治療すべき病気と認定し、ニコチンパッチを使った禁煙指導を「ニコチン依存症管理料」として保険適応にしました。

医療機関が保険診療で禁煙指導を行うためにはいくつかの基準を満たさなければなりません。
その一つが診療所内だけでなく駐車場も含めた敷地内を禁煙にすることです。
当クリニックも施設基準を満たして、今月から保険診療ができる施設として認可されました。
タバコを止めたいと思っている方は是非ご相談下さい。
(平成18年8月 日章公民館ニュース)
我が禁煙記
今回はタバコをすっているお父さんやおじいちゃん、もちろんお母さんにもご本人の健康のためだけでなく、お子供さんやお孫さんのための禁煙のお話しです。
かくゆう私も恥ずかしながら長い間喫煙者でしたが、ある日を堺にぴったりと止めました。

以前も書きましたように私はがんの子供の診療に長く関わってきました。今や小児がんにかかった人の70%は治るようになりました。

私は成人した元小児がん患者が抱える様々な問題を支援するため月に1度上京して、順天堂大学で7年前から始めた長期フォローアップ外来を続けています。
その外来に3年前のある日、20歳代の元白血病患者の2人の青年が受診しました。2人ともタバコの匂いがするため聞くと、毎日20本以上すっているとのことでした。
せっかく苦労してがんを克服した人たちがヘビスモーカーになっていることを知って私は愕然としました。
何とかこの人たちに禁煙してもらわなければと思ったその日から、私自身全くたばこをすうことができなくなりました。
タバコの害
タバコの害については耳にたこができるほど聞かされているかと思いますが、もう一度おさらいしてみます。
タバコの煙は喫煙者が吸い込む主流煙とタバコから立ちのぼる副流煙がありますが、有害物質の多くがこの副流煙に含まれています。

自分の意志とは関係なくタバコの煙を吸い込むことを受動喫煙といいます。特に成長発達過程にある子供は家族が吸うタバコの煙により様々な健康被害を受けやすい存在です。
具体的には受動喫煙により喘息、気管支炎、中耳炎にかかりやすくなります。

赤ちゃんの突然死(乳児突然死症候群)の約60%は親の喫煙が原因とされています。また、妊婦の喫煙により胎児も大きな影響を受けます。
母親の喫煙により胎児の発育が悪くなるだけでなく、将来落ち着きのない子供や、キレやすい子供になりやすいことも明らかになってきました。
喫煙の悪影響は全臓器に及びます。全身のあらゆるがん、特に肺がん、喉頭がん、口腔がん、食道がん、胃がん、すい臓がん、膀胱がん、白血病などは喫煙が主な原因とされています。
呼吸器の病気としては慢性気管支炎や肺気腫など慢性閉塞性肺疾患(COPD)と呼ばれる病気は喫煙が原因で起こります。
最近、特にCOPDが注目されていますが、効果的な治療法はなく最後は酸素吸入で命をつなぐことになります。

また喫煙は心筋梗塞や脳梗塞の重要な危険因子でもあります。
米国では1970年代から上昇し続けていたがんの死亡率が1994年から減少に転じていますが、これは禁煙率の低下が主に寄与していると考えられています。
その一方で日本のがん死亡率は上昇し続けています。また、心筋梗塞の死亡率もアメリカでは3分の一も減っていますが、日本では逆に1.6倍増えています。
たばこに対する大いな誤解
喫煙者はタバコがストレスを解消してくれるとよく言いますがこれは本当でしょうか?
タバコをすうと数秒でニコチンが脳に達して、快感を引き起こし、気分がよくなったように感じます。
ただそれは一時的なことで、ニコチンが切れるとまたすいたくなって、次々にタバコに手がいってしまいます。
喫煙によって解消されるストレスとは実はニコチン切れによるストレスであって、本来喫煙しなければ存在しないストレスなのです。
喫煙者の脳はタバコという詐欺師に洗脳されているともいえるのです。

軽いたばこに変える方法はどうでしょうか?これはたばこ会社の戦略にまんまと乗ってしまうことになります。
軽いタバコに変えるとニコチンが欲しいために吸う本数が増え、知らず知らずのうちに肺の奥まで吸い込むようになります。
その結果より多くの発がん物質を吸い込むことになってしまうのです。

それでは本数を減らすのはどうでしょうか?
本数が減った分、ニコチン切れがひどいので、我慢した後の1本が本当においしい一服になってしまいます。
つまり、本数を減らしている間の努力はまるで逆効果で、タバコは本当にいいものだ、自分はタバコなしではやっていけないと心に刻み付けているようなものなのです。
具体的な禁煙方法
いくら禁煙の害を説明しても、適切な禁煙の方法を指導できなければ片手落ちといえます。
最近の大きな進歩はニコチン代替法ができたことです。ニコチンパッチと呼ばれるテープを貼ると皮膚からニコチンが吸収されてタバコをすったと同じような感じになり我慢ができます。
実際に驚くほどの効果で、貼って5分程で吸いたい気持ちが無くなります。
このテープをうまく使うことにより禁煙をスタートすることは本当に容易になりまた。 ただし、ニコチンパッチにより身体的な依存は解消されても、精神的な依存から抜け出すのは容易ではありません。

そこで、先に述べたように喫煙という行為は単にニコチン中毒にはまっているという理屈を心に焼き付けることも重要な作業です。
最近は高知県下にも禁煙外来ができてきており、専門的に禁煙方法を指導してくれるとところも増えてきています。
ただし、保険診療にはなっていませんので、ニコチンパッチの代金(1枚約420円)や指導料は実費になります。

私のクリニックでもご希望の方には禁煙指導しています。
ご自分の健康のために禁煙するという方も、この際お子さんやお孫のために禁煙したいとう方も遠慮なくご相談下さい。
(平成18年8月 日章公民館ニュース)

子供の生活習慣

親が子供にあげる最高の贈り物のひとつは正しい生活習慣を身につけさせてあげることだと思います。昔からしつけと呼ばれていたものです。
今や成人の最大の健康問題は生活習慣病といえますが、この生活習慣の多くは幼児期にできるといっても過言ではないでしょう。
つまり生活習慣病の一部は小児期から始まっているといえます。
その中でも最近、特に小児科医の間で注目されている食事の習慣と、テレビ視聴の問題について今回は書いてみます。

食事の習慣について
最近、朝食をとらない子供が増えています。ある調査によれば、3歳児の25%、小学生4の7%、中学生1年生の13%は朝食を食べてないとされています。
朝食を食べない子供は食べている子に比べると小学校低学年までは、身長が低く体重も少なくなります。
ところが、学年が進むにつれて徐々に体重が増えて、小学校4年になると、むしろ肥満傾向になることが最近の研究で明らかにされました。

その理由を明らかにするために生活習慣を詳しく調べた結果、この子供たちは夜遅くまでテレビを見ていたり、夜食を食べたりして、就寝時間が遅いために、結局は朝起きられなくなり、朝食を摂ることができなくなっていることが分かりました。
また、その子供たちの親も夜更かしで、朝食を抜いていることが多いのが実情です。

さらに、1年生以降は長時間テレビを見たり、ゲームをしたりして、外で遊ぶ時間が少なく、運動不足となり、結局肥満児なってゆくのです。
つまり朝食を欠食する習慣は3歳頃からみられ、その他の様々な生活習慣と連鎖し、小学校4年以降の肥満を引き起こすらしいことが分かりました。
テレビ視聴と小児の発達
最近、新しいタイプの言葉の遅れが問題になっています。
この子達は親の言葉に反応しない、表情に乏しい、自分の考えを言葉で表現するのが苦手でコミュニケーションに問題を抱えています。
一見自閉症の症状に似ています。しかし、よくよく親の話を聞いてみると、生れた時からずっとテレビやビデオがついている環境で育てられていたり、何らかの家庭環境の変化で生後1年頃からテレビ漬けだったことが明らかにされています。
乳幼児期は親子の生身の接触が最も必要で重要な時期です。この時期にテレビからの一方的な情報に赤ちゃんをさらし続けると、肝心な心の発達に支障をきたすことは容易に想像できます。
これは良質とされている教育番組やビデオ教材でも同じであると言われています。

こうしたことが原因で言葉の発達に遅れがある場合は、テレビを消して親が子供と1対1で遊ぶことが唯一の解決法とされています。
重要なことは早い時期に気付いてあげることで、1歳までなら1ヶ月で見違えるように表情が豊かになり、3歳までならよくなる可能性があるものの、時にコミュニケーションがとれないまま育つことあるとされています。
これらのことは現在まだ研究中で確定的でない点もありますが、いずれにしても長時間テレビを見たりゲームをしたりすることは子供の健全な精神発達にとって悪影響を与えることは専門家の一致した意見です。

そこで小児科医が中心になって、2歳まではテレビを消して、家族同士の豊かなコミュニケーションをつくることを提唱しています。テレビを見ない生活なんて考えられないと思われる方も少なくないと思いますが、やってみると意外な効果に驚いたとの反響が多く聞かれています。

夫婦の会話が増えたという話もよく耳にします。 食習慣とテレビ視聴は一見別の生活習慣のように思われますが、実はお互いに深い関係があることいえます。
子供たちのこれらの生活習慣は結局、親の生活習慣を反映したものであり、親がしっかりとお手本を示すことが、ひいては子供たちの長い人生にとっても重要な意味を持つことがお分かりいただけると思います。
(平成17年5月 日章公民館ニュース)
小児科医の役割は子どもの健康を守ることです。さらに現在の小児科医は子育て支援も重要な仕事と考えています。
私が開業して3年半が経ちましたが、この間子供たちを連れてくる母親を見ていて重要なことに気付きました。それは子育てや家事に追われている母親は体調が悪くても自分のために医療機関にかかることはほとんどないということです。
子育てに奮闘中の母親は主に20歳代から30歳代の女性で、この年代の女性が実際に重大な病気にかかることは稀です。子どもの風邪をもらって具合が悪くなることがほとんどですが、それでも家事や育児に忙しい母親にとってはつらいものです。
今回は子育て中の女性に比較的多い健康問題について書いてみたいと思います。

(1)鉄欠乏性貧血
鉄分が不足するために起こる貧血ですが、若い女性には潜在的な患者さんが少なくありません。
女性は生理による出血があるため男性より貧血になりやすく、また妊娠により子どもに鉄分を取られるため貧血になりやすいのです。
先日も肺炎にかかった子どもを連れてきた母親の顔色がとても悪いので、説明して検査をしたところ貧血が強く、ヘモグロビンは健康な人の半分くらいしかありませんでした。貧血なると疲れやすくなりますが、本人は全く気付いていませんでした。これは貧血が少しずつ進むためで、体がその状態に慣れてしまい、このお母さんのように意外に自覚症状が乏しいことも珍しくありません。この方は鉄剤を服用して速やかに貧血は改善しました。

(2)甲状腺の病気
甲状腺の病気も若い女性に多い病気で、妊娠を契機に発症することもあります。 ホルモンの分泌が過剰になる機能亢進症(バセドウ病)と逆にホルモンが少なくなる機能低下症があります。
やはり風邪の子どもを連れてきたお母さんの顔色が悪く、顔も浮腫んでいたので検査をしました。貧血を認めた上にコレステロールの値が異常に高いため、詳しく調べたところ甲状腺機能低下症であることが分かりました。この病気になると元気がなくなり、気分が落ち込み、顔や足が浮腫みます。JA高病院の内科で甲状腺ホルモンの投与を受け、全ての症状は改善しました。

(3)片頭痛
片頭痛は若い女性に多く、特に30歳代の女性の5人に1人は片頭痛を持っているといわれています。
症状は特徴的でズキンズキンと拍動性の激しい痛みを認め、数時間から長いと3日間ほど続くこともあります。動くと痛みが増強し、吐き気や嘔吐を伴うこともあり、日常生活が著しく障害されます。
頭痛は本人にしかわからない痛みであり、周囲からは神経質であるとか、怠けているようにとられることさえありますが、本人にとってはとてもつらく家事や育児どころではなくなるものです。
ほとんどの人は市販の痛み止めを服用していますが、最近トリプタンとよばれる特効薬ができて、その治療法が一変しました。この薬を服用すると1~2時間で痛みが消失します。片頭痛持ちのお母さんは是非ご相談下さい。
小児科医は子どもの健康を守るプロフェッショナルですが、同時に母親の健康状態にも配慮したあげることも重要であり、私はそのことが子育て支援にもつながるものと考えています。
お母さん自身の体調についても遠慮なくご相談下さい。

(平成17年7月 日章公民館ニュース 【平成21年7月改筆】)

小児がん経験者の話

故郷に帰って小児科内科クリニックを開業して、早いもので3年が経ちました。
この間地元の皆様には物心両面でいろいろお世話になりました。おかげさまで今ではすっかり地元になじみ、快適に仕事に専念できるようになりました。
あらためて皆さんにお礼を申し上げます。 さて、私は医学部を卒業したら早い時期に帰って地元の皆さんのために働こうと考えていました。
ところが医学部の5年生の病棟実習で受け持った3歳の白血病の男児に出会ったことがきっかけで小児医なることを決意しました。今振り返っても運命的な出会いでした。

当時、1970年代後半は白血病といえばまだ、不治の病という時代でした。その子は、とても利発で可愛い子でした。
ご両親の悲嘆は想像を絶するもので、学生でしたがなんとかしてあげたいという気持ちになりました。
順天堂大学を卒業後小児科医になり、約20年にわたり子供の白血病や小児がんの診療に従事してきました。
この間の医学の進歩は素晴らしく、いまや小児がんの70%は治る時代になりました。多くの病気の子供たちに接し、その家族とも交流を持ってきました。
小児白血病は3~6歳くらいに発症することが多く、今や私達が治療にかかわってきた子供たちの多くが治癒し、成人になりつつあります。
実際に社会人として活躍している人も少なくありません。中には看護師や医師になった人もいます。

その一方で、様々な問題もあって苦労している患者さんも少なくありません。
小児がんに対する社会の認識不足のため実際に治っているのに入学や就職の際、差別を受けたり、また治療による慢性的な副作用(晩期障害)に苦しんだりしている人もいます。
晩期障害は投与された抗がん剤や放射線照射が原因で起こりますが、具体的には輸血によるC型肝炎、成長障害、神経障害、側湾症、心理社会的問題など多岐にわたります。
厳しい治療により治癒した後も様々な障害と闘わねばなりません。

私は1988年に順天堂大学に小児がん経験者のための長期フォローアップ外来を日本で初めて開設しました。
対象は高校生以上になった元小児がん患者ですが、彼らのほとんどは元の病気は治っているものの、晩期障害や様々な心理社会的問題を抱えているために、この外来で診察のみでなく様々な相談にのっています。
未だ多くの施設では病気が治った後のケアは十分ではありません。

私が高知に帰った後も第2,4木曜を休診にして上京しているのは、この外来を継続するためです。
小児白血病は薬の投与のみで治った最初のがんであり、近年のがん治療のサクセス・ストーリーの最たるものとされています。
子供の場合、病気を克服した後の人生は長く、思春期の悩み、晩期障害の問題、小児医療から成人医療への移行など問題は山積しています。
上京の際は朝1番の飛行機に乗ると順天堂には10時に着きます。午前、午後と外来で彼らの話を聞いて、翌朝1番の便で帰ると10時過ぎからクリニックでの診療が可能です。
こうして開院前に計画していたことを3年間やってきました。もう少し頑張って小児がん経験者の将来を見守りたいと思っています。
(平成16年 日章公民館ニュース)

子供の病気の特徴

今回は子供の病気の特徴について書いてみます。
まず大事なことは子供は大人を単に小さくしたものではないということです。
元気に遊んでいた子供が急に具合が悪くなり、一旦病気になるとその進行も早く、迅速な対応がなされないとありふれた病気でも命を失うことさえあります。
その一方で強い治療に耐える生命力も強く、適切な治療さえすれば回復も早いのも特徴です。
例えば嘔吐や下痢にしても子供は脱水になりやすく、ぐったりして受診しますが、1本の点滴ですっかり元気になり、笑顔が見られることもまれではありません。

子供の病気は年齢によって違う
子供はその年齢によって乳児、幼児、学童と分けられますが、同じ病気でも年齢によって原因や症状の出方が違ったりします。子供はよく感染症にかかり熱を出しますが、3ヶ月未満の乳児が38.5度以上の熱を出した場合は、重症感染の可能性が高く、少なくても血液検査を行い、場合によってはさらに詳しい検査を行い、敗血症や髄膜炎などの重症感染がないかどうか慎重に観察する必要があります。

細菌性髄膜炎は重症の感染症で死亡することもあり、また、救命しても神経学的な後遺症を残すことがあります。
この髄膜炎も乳児期早期、乳児期後期、幼児期で原因となる菌が違ってきます。
症状も乳児期ではたんに機嫌が悪かったり、オムツを替えるときにぐずってなくこともあります。
重症疾患であるのに特徴的な症状がないことがあり小児科専門医の診察が必要です。
子供病気は季節によって違う
8月、9月は病気も少なく、昔から柿が黄色くなる頃には医者が青くなるといわれています。
その一方で、冬のインフルエンザの流行時には100人を超す患者さんが押し寄せ、小児科医にとっても肉体的にきつい時期です。

感染性の胃腸炎(嘔吐下痢症)は1年中みられますが、冬から春先にかけて特に多く、原因はほとんどがウイルス感染です。
春先に流行する胃腸炎の原因はロタウイルスが多く、発熱を伴い便の色が白くなるのが特徴で、脱水になりやすく入院が必要になることも稀ではありません。

夏になると今度は病原性大腸菌、サルモネラ、キャンピロバクターなどの細菌によるものが多くなるので注意が必要です。
細菌性腸炎の場合は便に血液や粘液が含まれることが多く、便性を観察することが重要です。

また、5~6月や10月など季節の変わり目には喘息発作が急増します。
今はまさに喘息シーズンで当クリニックの吸入器も一日中大活躍しています。
上手な小児科のかかり方
小児科に子供を連れてくる保護者は多くは母親ですが、父親や祖父母が来ることもあります。
母親以外の保護者が来た場合、時に子供の病気の経過が良く分からないことがあります。
例えば一緒に来たおじちゃんは「嫁に医者に連れて行くように言われただけで、詳しいことは分からん」と言われ、子供に聞いても要領を得ず困ることがあります。
こういうと時はお母さんのちょっとした経過を書いたメモでもあれば小児科医としては大いに助かります。

やっぱり子供の様子を一番理解しているのは母親ですし、母親が子供の様子がおかしいという場合は、小児科医は特に慎重に診察をします。
実際に母親の感があたっていることが多いものです。
また、体に発疹が出た場合や、普段と違う便が出た場合はデジカメなどで撮って持って来てもらうと、原因がすぐに分かることがあります。
最近はカメラ付携帯も普及しており、実際に携帯で撮影した様子を見せてくれる母親もいます。

最大の問題は夜間や休日に病気になった場合です。
私も開院当時は、留守電に自宅の電話番号を入れて、救急の場合は対応していました。
しかし、患者さんが徐々に増えて、肉体的にも精神的にも夜間の対応はできなくなりました。
小児救急の問題はご承知のように全国的な社会問題となっています。

高知県ではこの問題に対応するために平成11年から高知市の急患センターで午後8時から11時までは小児科の専門医が診察するシステムができており、私もこれに参加しています。
それに11時以降の深夜帯は県立中央病院や高知医大などの6つの総合病院が輪番で対応するようになっており、いつでも小児科専門医の診察を受けることができます。
このような休日夜間の情報は救急医療情報センター(TEL 088-825-1299)に問い合わせば教えてくれます。
(平成17年9月 日章公民館ニュース)

ウクライナのオデッサに行くため成田を発ったのは昨年の十月三日であった。
エリツィン大統領が突然訪日を中止した直後で、また、ロシアでは経済状態が逼迫し厳しい冬を控えて食料不足も懸念されていた。

訪問の目的は医療協力であったが、そういう大義名分とは別に自分の目で実際にロシアやウクライナの状況を見てみたいという強い好奇心に駆られていた。

モスクワのシェルネチボ空港に着いたのは夕方の六時過ぎであった。
入国のカウンターでさっそく、「DOyouhave Cigarettes?」と聞かれた。
少々驚きながらも、そういうものかと思い直しタバコを差し出すと、ろくにパスポートも見ないで通された。
出迎えの人を探してうろうろしていると、背中を叩かれた。
振り向くと初老の男性が 「Ishimoto to Odes-sa」と書かれたプラカードを持って立っていた。
隣にはやはり同じプラカードを持った婦人が立っていた。どうやらこの夫婦が出迎えてくれたらしい。

夕闇のモスクワ郊外を串で足りながら懸命に意思の疎通をはかろうとしたが、英語がほとんど通じないため、この夫婦が誰なのかもわからず不安であった。
一時間程で国内便の空港であるヌコバ空港に着いた。林の中の空港ビルは薄暗くて、とてもそこがCIS全土への国内便の発着地とは思えないような場所であった。
ロビーは大きな袋や鞄を持った人々でごった返していた。殺気だった雰囲気を感じながら仔んでいると、突然殴りあいのけんかが始まった。
警察官が止めに入り収まったが、衝撃的なシーンであった。

二時間の飛行で目的地のオデッサに着いたのは真夜中であった。

オデッサからの手紙
ことの発端はオデッサ小児病院のレゾニック教授からの手紙であった。
チェルノブイリ原発の事故以来白血病の患者が増えているため、臨床研修をさせて欲しいとの要望であった。
当科の助教授と以前より国際学会で知り合いであったため打診してきたのであった。
既に彼はヨーロッパの国々や日本の複数の施設にコンタクトをとつたとのことであったが、結局受け入れたのは我々の大学だけであった。

こうして昨年の一月から二カ月間、オデッサ小児病院の血液科から部長のバレンチーナ医師とビクター医師が我々の病院に研修に訪れた。
二人の東京滞在中の費用についてはいくっかの製薬会社と江戸川区医師会に援助して頂いた。

彼らの話によると、医薬品が極端に不足している上に医療機器も十分ではないため、白血病の子供の十人に一人しか助けられないとのことであった。
現在、日本や欧米諸国での小児白血病の長期生存率は約七〇%に達しており、その殆どが治癒するものと考えられている。従って、この一〇%という数字は信じがたいものであった。
研修のかたわら、どのような援助ができるのか何度も話し合った。とにかく、今一番必要なものは治療薬であることは間違いないが、とりあえずは医療技術とシステム作りを学ぶことが先決であるとの結論に達した。
二人とも一生懸命研修したが、毎日がカルチャーショックの連続であったようだ。
東京では医薬品は何でも手に入るし、検査機器も揃っている。我々には当たり前のことではあるが、彼らには夢のような世界であった。
英語の小児科と血液学の教科書を進口王したが、約三万円のその費用も彼らにとつては数年分の年収に相当するとのことであった。
最終的に残った資金で顕微鏡を買って持ち帰ることになった。

帰国に際し荷物が一杯になってしまい、アエロフロート社から重量超過で多額の追加料金を請求されそうになったが、ロシア大使館から人道的援助であるとの証明書を貰い、ことなきを得た。
オデッサ小児病院
オデッサは黒海に面した美しい港町である。
小児病院は六百床のベッド数を持つこの地方の中心的な病院であり、血液科には約四十人の白血病を中心とする子供たちが入院していた。
白血病の患者は年々増えており、今年も十月までに二十例の新患の入院があったとのことであった。

私が滞在した僅か一週間の間にも三人の白血病の子供が入院してきたが、二人は再発例であり、既に肝臓や牌臓が大きく腫れ、進行した状態であった。
バレンチーナ部長と相談しながらできる限り患者を診て治療方針を立てたいと考えたが、なかなかうまくゆかない。彼女自身が患者数が多いこともあって各症例の状態やデータを十分把握できないようであった。特殊な難治性の白血病患者がいるとのことで相談を受けた。
既に四年間再発もなく経過しているが、いつまで治療したらよいかとの質問であった。
しかし、十分な薬もない状況で長期生存しているのは信じ難く、診断の根拠となった血液標本を見せてもらうことになった。

血液検査室にあったのは単眼の顕微鏡であった。覗いてみたが光量が弱くよく見えない。何と光は窓からの自然光であった。
だんだん絶望的な気持ちになりながら、「あの東京から持って帰ってきた顕微鏡はどうしたの?」と、ついつい大きな声を出してしまった。
「あれは盗まれるといけないので別の部屋に鍵を掛けてしまってみる。」という。
それでは何のために苦労して持ち帰ったのかわからない。
結局、標本をその顕微鏡で見たが、今度は標本がひどくて診断に堪えられるものではなかった。

ある日、キエフから子供が神経芽腫という小児焙で闘病中であるという父親がやって来た。
この病院で診断されて、今は放射線泊療を受けるためにキエフに行っているという。
いろいろ相談に乗っているうちに、モスクワで出迎えてくれた夫婦はこの人の親戚であることがわかった。やっと、あの親切な夫婦の正体がわかり納得したものであった。

三日目には予定していた白血病の講義を行った。百人程の学生と医師が聴衆であった。
居眠りされるのではと心配していたが、私の下手な英語にすっかり慣れているビクター医師の通訳のおかげでみんな熱心に耳を傾けてくれ、何とかわかってくれたようであった。
私が強調したかったのは子供の白血病の多くは今や治る病気であり、必要な薬さえあれば子供たちは救えるということであった。
講義を聴いた学生たちが喜んでくれたのは本当に嬉しかった。
これから医師になる若い人達に夢を持って欲しいというのが、私の最大の願いであったが、少しは役に立てたと思っている。

ビクター医師によれば東京に行く前は親に話をするとき「あなたのお子さんは白血病です。残念ながら治る希望は余りありません。仕方がないのです。」と目も見ずに話していたという。
こういう状況は親だけでなく医師も本当に辛いものである。
どうせ治らないのならと治療の途中で子供を連れて帰る親も多かったらしい。
「しかし、東京で確かに治っている子をたくさん見たし、条件さえ揃えば我々でも治せることがわかった。」親に対しても「希望はある。」と話せるようになったし、親の反応も以前とは違うとのことであった。
ポーランドはミニアメリカ
夜はバレンチーナ医師とビクター医師が交互に家に招いてくれて心温まる接待を受けた。二日目の夜はビクター医師の家で夕食を御馳走になった。
彼には医学部の学生である十八歳の息子と一歳になったばかりの可愛い女の子がいた。
驚いたことに奥さんはこの小さな子を残して二日後にはポーランドに出稼ぎに行くという。
深刻な話であるが二人とも何ということはないという態度であった。さらに驚いたことに出発を間近かに控えているのにもかかわらず列車の切符が手に入らないという。
ブラックマーケットに頼んであるので出発までにはたぶん手に入るとのことであった。
こうして彼女は二日後にはいなくなってしまった。

オデッサにいる間、このブラックマーケットという言葉を何度も耳にした。
あれだけ不足している薬もお金さえ出せばブラックマーケットで手に入るという。
考えてみれば旧ソ連時代に散々蹟潤した国が今や経済的には憧れの国となってしまっているのである。

ある時、オデッサの港を見下ろす高台を散歩しながらビクター医師が言った。
「いいかい、例えばあの港で働いている労働者が一日中座ってタバコをふかしていても、逆に一日中一生懸命働いても給料は同じなんだよ。なにせ平等なのだから。誰が真面目に働くと思う?」
長く続いた共産主義社会とは、わかりやすく言えばそういう社会だったのである。
教師の給料が最も安く、その次が医者で、炭坑や石油関連の労働者の収入が数倍多いといぅ社会でもあった。
この国では教育や医療が最も軽んじられてきたわけであり、その結果は私が見た医療現場にそのまま現れていた。
ウクライナの大地
あっという間の一週間であった。私はこの後ドイツで開かれる学会に出席する予定になっていた。
キエフまではビクター医師が車で送ってくれることになった。出発の朝、病院の車で若い運転手と共にアパートまで迎えに釆てくれた。
荷物をトランクに入れようとすると、ガソリンを入れたポリバケツで一杯であった。
キエフまでは往復1,000kmぁり、途中でガソリンの補給は難しいとのことであった。

朝八時過ぎにオデッサを出発し、ひたすらウクライナの平原を走り続けた。黒々とした豊かな大地がどこまでも続いていた。
(平成4年 産経新聞掲載記事)
明日(3日)からウクライナ(CIS)のオデッサへに行く。
私の専門は小児血液腫瘍(しゅよう)学で、子供の白血病や固形癌(がん)の診療と研究をしている。
今年初め、私と同じ分野を担当するオデッサ小児病院の専門医二人が来日し、私たちの病院で研修した。
チェルノブイリ原発事故以来、白血病が増えている-という援助要請を受けたものだった。

現在、日本や欧米諸国での小児白血病、特にその多くを占める急性リンパ性白血病患者の長期生存率は70~80%。多くは治癒すると考えられている。
しかし、医療品が絶対的に不足している向こうでは、十人に一人しか助けられないという。
オデッサは黒海に面した貿易港だが、病気の子が外国に行く船員に薬を頼むこともあるそうだ。
さらに、われわれは簡単に世界中の最新医療情報を得られるが、彼らはモスクワまで出向かなければならない。
治療成績を良くするには医療品や医療器具に加え、充実した看護や検査の態勢が不可欠だが、そのいづれもが不十分だ。
日本で新しい治療方法を学んだ彼らにとって、オデッサに戻ってからの診療はかえって辛いものになっているかもしれない・・・。
が、研修中、彼らの一人は言った。
「小児科医になったことを後悔してはいない」
互いの間に横たわるすべてのギャップを埋める言葉だった。
小児科は、我が国の医学生に最も不人気な科の一つとなってしまった。
小児人口の減少や手間と苦労の割に経済的に恵まれないことが大きな理由である。けれど、私は小児科学は夢のある学問であると信じている。
オデッサでは学生の講義も担当する。若い人たちに夢を持ってもらうこと。それがスタートと考えている。
(平成4年10月2日 産経新聞掲載記事)
ウクライナでの一週間の滞在を終え、小児がんの国際学会に出席するため、ドイツに向かった。
機内で久しぶりに新聞を手にした。「子供たちを救え」と題した記事に目。がいくユーゴスラビア紛争の話であった。
ユニセフ(国際児童基金)の報告では、今冬、百二十万人の子供たちが飢えと寒さで死に直面するだろう-と伝えている。
この数字は日本で一年間に生まれる子供の数に相当する。一九八四年に冬季オリンピックが開かれたサラエボではクリスマスまでに5,6mの積雪で、全ての道路と空港は閉ざされると予測されている。
驚いたことに、ドイツでの今回の学会には世界中の発展途上国から百五十人を超す医師が招待されていた。
地球上の全ての子供たちが近年の小児がん研究の進歩の恩恵を受ける権利があるとの考えに立ったものである。

アフリカや南米の医師とも話す機会があった。ペルーの医師に「薬はありますか」とたずねると、「薬はあるが、高くて医療費を払えない親が多い」との返事だった。
ウクライナでは、医療費は無料だが、薬がなかった。結局、状況は同じである。

実は、ウクライナのオデッサ小児病院の教授から、学会で会うヨーロッパの医師たちに援助の依頼をしてほしいと頼まれていた。
今回の学会の主催者であるハノーバー大学のリーム教授に、それを伝えたところ、急に険しい表情になった。
「われわれは旧東ドイツをはじめ、ユーゴスラビアにも多額の援助をしている。もちろん、旧ソビエトのめんどうも見ている。大変なんだ。日本は金持ちじゃないか。君たちももっと頑張ってほしい」
厳しい返事だった。
はからずもドイツが背負っている負担の大きさを知らされた。
(平成4年11月13日 産経新聞掲載記事)
宮崎から結婚式の案内状が届いた。三年前まで小児科病棟で働いていた看護婦さんからであった。

大学病院で働いている看護婦さんの多くは二十歳代前半の、やさしく意欲にあふれた女性たちである。
小児病棟では、仕事が終わった後も、子供たちの遊び相手になったり、親の話相手になっている姿をよく見かける。

その彼女たちが休みの日には、寮でひたすら寝ているという話をよく聞く。疲れているのである。
彼女たちは日勤、夜勤、深夜と三交代の勤務をこなしている。深夜とは午前零時から翌朝までの勤務であるが、この仕事が二日から三日ごとに回ってくる。
不規則な生活ときつい労働に、さしもの若い体力にも限界を感じ、平均三年ぐらいで職場を去ってゆく。

彼女たちは、できるだけ長く患者さんのそばにいて世話をし、話相手になってあげたいと願っている。しかし、皮肉にも、最近の医療の進歩は、彼女たちをベッドサイドから遠ざける方向にある。
患者さんの周りには、たくさんの機械やモニターが置かれ、時には何本ものチューブが入れられる。
その管理も仕事のうちである。

結果的に本来の願いが遂げられず、フラストレーションがたまり、肉体ばかりか、精神的にも疲れてしまう。
看護婦不足が叫ばれて久しく、「夜勤を減らし、給料を上げるべきである」等々が提言されている。
もちろん、早急に対策を打つべきであるが同時にもっと大切なことは、みんなが彼女たちを大切に思い、尊敬することであろう。

宮崎の彼女は酪農家の青年に嫁ぐという。
手紙は「人と動物の違いはあるけれど、同じ生き物が相手ですし、今からとても楽しみです。新たな気持ちで頑張ります」と結ばれていた。
(平成4年12月4日 産経新聞掲載記事)

小さな命の危機に

二年前の十二月二十九日のことだった。年内の仕事を済ませ、久しぶりに家でのんびりしていた午後、電話が鳴った。
関連の病院に白血病の疑いがある子供が緊急入院し、今から救急車で送られてくるという。
困ったことに、病院は年末の休日体制に入っており、十分な検査ができない。
血液検査室の主任に電話し、若い人の応援をお願いしたところ、彼女は遠方に住んでいるにもかかわらず、即座に「わたしも行きます」と返事してくれた。
われわれが、その三歳の患者に会ったのは夕方だった。
貧血が強く、ぐったりしてベッドに横たわっていた。
直ちに骨髄検査を含めた詳しい検査にとりかかり、夜遅くすべての結果が出そろった。急性リンパ性白血病だった。
母親は妊娠中であり、お腹の赤ちゃんのことを考え、病名を告げるかどうか迷った。幸い白血病の中でも治癒が期待できるタイプであったため、父親と相談のうえ、母親にも正直に説明した。
しっかり受け止めてくれて、「頑張る」との答えであった。

実は、ちょうどその一年前にも、同じようなケースがあった。
白血病で入院してきた少年の母親は、やはり妊娠中だった。幸い、治療は成功し、同時に母親は元気な赤ちゃんを出産した。そのお母さんにも応援をお願いしたところ、すぐに病棟にかけつけてくれ、"先輩"としてアドバイスし、励ましてくれた。
新しい命を感じながら、一方でもう一つの大切な命が危機にさらされていた。

あれから二年。五歳になった少年は、だれよりも元気に外で一日中遊び回っている。外来にはあの後に生まれたかわいい妹とやってくる。治療もこの暮れにすべて終了する。
今年の暮れこそ、何もないことを祈っている。
(平成4年12月25日 産経新聞掲載記事)
いわゆる民間療法について患者さんから質問を受けることが多い。
巷(ちまた)にはありとあらゆる民間療法があふれている。飲み薬から宗教的色彩の強いものまで、実にさまざまである。
病人が出たと聞きつけると、こんな良い薬や治療法があると勧めてくれる。
病気で悩んでいる本人やその家族は不安にさらされており、病気が重大なものであればあるほどワラにもすがりたい心境に陥っている。
その心理の隙間(すきま)に話が持ち込まれる。健康な人たちには、にわかに信じがたい治療法でも、当事者にとっては救いの神のように感じられるのである。

私は専門がら、白血病やがんの子供たちをみる機会が多いが、治療以外にもさまざまな問題が発生するため、定期的に親に集まってもらい、話し合いを行っている。
あるとき、民間療法を取り上げたところ、三人に二人は民間療法を勧められており、その半数の患者さんが実際に試した経験をもっていた。
近代医学は、攻めの医学であり、治癒(ゆ)を目指し、あらゆる治療が試みられる。当然のことながら治療がうまくいかなかったり、副作用に悩みながら闘病している人も多い。
民間療法に頼る人々を一概に批判することはできないのである。

私は患者さんから民間療法について相談を受けた場合は、まず内容を聞いてあげることにあいている。
患者さんの中には医師を信頼し、その治療法に従いながらも自らも何らかの努力をしたいと考えている人が多いからである。
そのうえで、相談された治療法の矛盾点や不明確な点を説明し、後は私たちが行っている治療に支障がない限り、患者さんの判断に任せることにしているが、残念ながら、人の弱みに付け込むような話が多いのが現実である。
(平成5年1月22日 産経新聞掲載記事)
若い先生たちは大学病院の他に関連病院の当直もノルマになっているため、最低週一回、多いときは二、三回の当直が回ってくる。
卒業後五年目になるA先生のある日の当直日誌から-。


≪その日は千葉県のある病院の当直であった。少々疲れ気味であったので、心の中ではあまり患者が来ないことを願っていた。九時ごろまでに風邪による発熱患者を二人みて、十一時過ぎにはベッドに入っていた。
夢の中で電話のベルを聞いて、目が覚めたのは午前二時過ぎであった。
救急車で六ヶ月の赤ちゃんが運ばれてきていた。
途方にくれた顔をした若い母親が赤ちゃんを抱いて診察室に入ってきた。
火がついたように泣きはじめ、止まらないとのことであったが、既に赤ん坊は泣きやみ、スヤスヤと眠っていた。一応診察し、特に異常がないことを伝えると、申し訳なさそうに両親は帰って行った。

イライラしながらも仕方ないと言い聞かせ、再びベッドに横になった。
しかし、なかなか寝つかれず、うとうとしているうちに再び電話のベルが鳴った。

今度は十ヶ月の赤ん坊が吐いて、血便も出ているという。腸重積であった。
この病気は腸が腸の中に入り込み、腸閉塞をきたし、手遅れになると手術しなければならない重大な救急疾患である。

赤ん坊は腹痛のため激しく泣き叫んでいる。 悪戦苦闘の末に、レントゲンテレビに腸閉塞が解除された様子が映し出された。
途端に赤ん坊は泣きやみ、間もなく安らかな顔をして眠ってしまった。
すべてが終わったころには夜も白みはじめていた。
大学での仕事が待っているため、八時半には常勤の先生と交代して電車に飛び乗った。体は綿のように疲れていたが、ちょっぴり幸せな気分であった≫
(平成5年2月19日 産経新聞掲載記事)

深刻な小児エイズ

深刻な小児エイズ
先日、小児AIDSを考えるシンポジウムに出席した。
日本ではまだ深刻な問題になっていない子供のAIDSではあるが、今後に備えようというものであった。

昨年八月、医学部の学生とともにタイを訪れ、AIDSの状況を視察する機会があった。
バンコクの交通渋滞と排気ガスのひどさに驚きながら、さっそくAIDS関連の施設を訪ね、多くのドクターから話を聞くことができた。
AIDSの権威であるチュラロンコーン大学のプラパン博士のAIDS外来も見学させていただいた。
患者の多くは、ごく普通の若者たちであった。

タイにおけるAIDSの問題は社会経済状況と深くかかわっており、地域による経済格差がその根底にある。
貧しい北部や東北部から若い女性が大量に首都に流れ込み、結局は売春という"産業"に組み込まれていく。
感染者の多くは子供をつくる年代の若者である。
従って現在小児AIDSの問題が深刻化している。
AIDSに感染した母親から生まれる子供の二〇~三〇%が感染するとされているが、感染を免れた子供達も結局は親を失い、AIDS孤児という過酷な運命が待ち受けている。

ある統計によれば今世紀末にはタイ全体でのAIDSの感染者は三百万人にもなるという。
また、WHOの統計によれば西暦二〇〇〇年までに世界中で一千万人のAIDS孤児が発生するという。

私達は十日間バンコクに滞在し、帰る頃には、猛烈な勢いで経済発展を続けるこの国の人々のバイタリティーに惹(ひ)かれるようになっていた。
しかし一方で、環境問題とAIDS問題に払わなければならないであろう犠牲の大きさを思うとやりきれない気分だった。
(平成5年3月12日 産経新聞掲載記事)
医者と患者の関係は実に不思議なものである。
医者は患者の話を熱心に聞き、患者は一生懸命自分の病状について説明をする。
時には長時間にわたり、とうとうと訴え続けるものの、なかなか肝心なことを言ってくれないこともある。

ある小児科医の思い出話である-。
喘息の子供の家に往診に出かけた。急に発作が起こり苦しんでいるという。
この子は元々、家の埃や動物の羽毛に対するアレルギーを持っていた。
両親の話を聞いても、今回の発作の原因がよくわからないまま、薬を処方し家を出ようとした時、父親に「ところで先生」と呼び止められた。
「この発作は鴨とは関係ありますかねえ?」と聞く。
台所に案内されると、そこには最近少年のペットとして飼うようになった鴨がバタバタと飛んでいたという話である。
両親は枕の羽毛が喘息によくないと注意されていたが、それが実際に生きている鳥と結びつけられなかったわけである。

私にも似たような経験がある-。
六年前の夏のある日、九ヶ月の坊やが"とびひ"で外来を訪れた。
薬を処方して、母親が診察室のドアを開けて出ようとした時、急に振り向き、
「ところで先生、全然関係ない話なんですけど、この子の左目が時々光るんですけど何かありますか?」
と聞いた。
一瞬、どきっとして、改めてよく見ると、確かに目の奥が光っているように見える。
この"目が光る"という症状は暗闇で猫の目が光るのに似ていることから"猫目"と呼ばれ、網膜芽細胞種という恐ろしい目のがんの有名な症状である。
この子は母親がついでに言った"全然関係ない"一言で命が救われたわけである。

患者は往々にして一番肝心なことを最後まで言ってくれないものである。
(平成5年4月2日 産経新聞掲載記事)
五年前の話であるが、あのシーンが脳裏に鮮やかに焼き付いている。
当時、私は十三歳になる白血病の少女を診ていた。四歳で発病し、四年間は寛解(とりあえず治ったように見える状態)を続けていたが、その後再発を繰り返し、既に抗ガン剤はほとんど効かなくなっていた。
強力な治療を試みれば、もう一度寛解に入る可能性もあったが、治療に伴う危険も大きく、髪の毛も抜けてしまう状況であった。

彼女はもう十分頑張ったし、入院も絶対にしたくはなかった。
家族と共に家にいたかったし、大切な髪の毛がまた無くなることは耐えられないことであった。
本人も含め両親と何度も話し合った結果、抗癌剤は投与せず、自宅療養とし、できるだけ学校にも行くことにした。
その後、家族旅行を楽しみ、四~五ヶ月は比較的元気に生活をしていたが、次第に発熱や痛みを訴えるようになっていた。

そんなある日、少女が母親と共に外来を訪れた。
ちょうど、やはり白血病で治療中の、同い年の少年も母親と来ていた。少年には妹ができたばかりで、母親はその赤ちゃんを抱いていた。
待合室で一緒になったその二組の親子連れが話をしていた。
患者さん同士もお互い長い付き合いであり、親しい間柄だった。
白血病の少女とその母親は「まあかわいい」と声を上げて、丸々と太った赤ちゃんをのぞき込んだ。
新しい命と終わりつつある命のごく自然な出会いであった。
私は深い感動に襲われ、込み上げて来るものを抑えられなかった。

一ヶ月後、少女は息を引き取った。あの少年は今、高校3年生。青春の真っただ中である。
多くの子供とその家族と、悲しみや喜びを共にしてきたが、静かに流れてゆく人の命や運命をいつも感じ続けている。
(平成5年4月23日 産経新聞掲載記事)
五歳の男の子。
こう丸が腫れ、ある泌尿器科を受診した。
こう丸捻転の診断で緊急手術を受けたが、捻転は認められなかった。二日後に足に小さな出血斑が数個出現したが、こう丸の腫れも引いたため退院した。
しかし今度は右膝が腫れて歩けなくなり、出血斑も多数出現し、発症から八日目に私の外来を受診した。
アレルギー性紫斑病であった。
原因ははっきり分かっていないが、毛細血管に炎症が起き、その結果、血管がもろくなり、四肢に出血斑がでる病気である。
関節が腫れたり、腹痛で発症した場合などは虫垂炎と誤診されることもある。
こう丸が腫れることは極めてまれな症状であり、このケースでは泌尿器科での初診時の診断はほとんど不可能であったと思われる。

三歳の男の子。発熱と左足の激しい痛みを訴え、整形外科でのレントゲン検査と血液検査の結果、骨髄炎と診断された。
抗生物質の点滴投与を受けたが、症状は一向に収まらなかった。
手術をして膿を出す必要がある、とのことで私たちの病院を紹介された。よく診察してみると、お腹に腫瘤(しゅりゅう)が触れた。
診察は神経芽腫と呼ばれる悪性の腫瘍(しゅよう)で、足の痛みは骨転移によるものであった。
手術と抗がん剤の投与で、幸い腫瘍はすっかり消えて、今は元気に小学校に通っている。

この二人の子供のように、局所の症状でも重大な病気の一つのサインであることがある。
特に小さい子供の場合は自分の症状を正確に訴えられないことが多いので、医師は親の話をよく聞き、注意深く全身を診察することが重要である。
また親には、子供がさまざまな症状を訴えた場合、まず小児科医を受診することをお勧めしたい。
(平成5年5月14日 産経新聞掲載記事)
アメリカの骨肉腫の少女の父親から突然、国際電話をもらい驚いた。
乳児期に網膜芽細胞腫という眼のがんになり、その後骨肉腫を発症し、既に肺にも転移しているという気の毒な話であった。

以前私たちは、多発性の肺転移をきたした骨肉腫の患者さんが、抗がん剤の投与のみで肺転移が消失したという経験を論文に発表してあった。
それを読んでの問い合わせであった。
網膜芽細胞腫は乳幼児に発生する腫瘍(しゅよう)であるが、その一部で後に骨肉腫を合併することが知られていた。

最近、この二つの腫瘍が同じ遺伝子の異常で起こることが明らかにされた。
現在、がんは遺伝子の異常が原因で発生する病気と考えられている。
人の染色体上にはがんに関連する遺伝子がいくつかある。正常に働いている限り、人間にとって必要不可欠なものであるが、ひとたび異常をきたすと細胞増殖のコントロールがきかなくなり、がんが発生する。
遺伝子が活性化されることによりがんが起こるいわゆる"がん遺伝子"と逆にその機能がうまく働かなくなることによりがんが発生する"がん抑制遺伝子"とに分けられる。

子供のがんはこれらの遺伝子の一つか二つが異常をきたして発生する比較的単純なメカニズムが考えられ、大人のがんは複数の遺伝子が長い歳月をかけ徐々に障害されて悪性度の高い腫瘍へ進展するとされている。
がん予防のために、ストレスや不規則な生活を避けて、禁煙しお酒も飲みすぎないようにすることが勧められている。
結局これは悪しき生活習慣により、がんを引き起こす遺伝子を刺激したり、発がんを抑えている遺伝子を傷つけないようにとのアドバイスなのである。
(平成5年5月16日 産経新聞掲載記事)

小児医療の重要性

今年も新卒のドクターを迎える季節がきた。
今年私たちの大学病院に就職したのは百四人のドクターであり、そのうち小児科を専攻したのは、わずか四人であった。

私が医者になったのは昭和五十三年であるが、当時は小児科も結構人気があり、入局者が十人を越す年もまれではなかった。
しかし最近、小児科の人気は落ちる一方であり入局者がいない大学さえあると伝えられている。
理由は苦労が多い割に経済的に恵まれないことに加え、最近の出生数の減少にあるようである。
経済理論的にいえば構造不況ということであろうか。

実際、子供の数が年々減っていることは事実である。
出生数をみてみると昭和二十年代前半のいわゆるベビーブームの時代は毎年約二百七十万人の赤ん坊が生まれていたが、昭和五十年に二百万を切ってからはさらに減り続け、昨年は約百二十万人となってしまった。 このまま子供が減り続けると生活さえ脅かされるのではないかというのが小児科医の本音である。

小児科診療は救急疾患が多く、当直していて最も忙しいのも小児科である。ほとんど眠れないこともまれではない。
現場で働いているわれわれにしてみれば小児科医が多すぎるという実感はない。
子供の泣き声ひとつで病気の種類や重症度まで診断したり、糸のように細い赤ん坊の血管に一発で点滴を入れたりする小児科医の特殊技術に対する報酬ももう少し考慮されてもいいのではないだろうか。

しかし、不満た不安を抱きながらも元気になった子供たちの姿を見て、心底喜びを感じて働いているのも小児科医である。
高齢化社会の到来が叫ばれて久しいが、高齢者を支えてゆかねばならないのが今の子供たちである。
小児科医療の重要性は決して変わらないと思うがいかがであろうか。
(平成5年6月4日 産経新聞掲載記事)
大学病院のスタッフの仕事のひとつに学生の教育がある。教室での講義以上に重要なのがベッドサイドでの実習である。最終学年の六年生になると指導医の下で実際に患者さんを診ることになる。

教える医師は忙しい診療のかたわら指導にあたるので大変であるが、一方で学生との交流が楽しくもあり、逆に教えられることもある。
学生にとっては生の患者さんを通しての勉強であると同時に、この時診た患者さんや指導してくれた医師により将来選択する科が決まることもあり、重要な意味を持つ。
私自身も実習で小児科を回った際、受け持った白血病の子供との出会いがきっかけで進路を決めたいきさつがある。

ある時教えた女子学生は印象的であった。私の外来を見学した際、受診した患者さんひとりひとりに心から「お大事にして下さい」とお見舞いを言っていた。
当たり前のことだが、最近なかなかこういう若者はいない。感心して小児科に来る気はないかと誘ってみた。
「私はがんになった子供たちがかわいそうで今の仕事を始めた」と話をすると、彼女は「病気の子供は確かにかわいそうだが、両親や祖父母が一生懸命面倒をみてくれます。
けれど病気になった大人はもっとかわいそうだと思います。
お酒を飲みすぎて肝臓を悪くする。
たばこを吸って肺がんになる。
自分の責任だから仕方ないと冷たく言う医師もいるけれど、私はそうは思わない。
この人たちはみじめな思いで病気と闘わねばならない。
そういう人のために役立てる医師になりたい」と言った。
優しさにあふれる言葉であった。

彼女は現在、内科医として頑張っている。いつまでも、あの時の気持ちを忘れないでほしい。
(平成5年6月25日 産経新聞掲載記事)
最近アメリカの有名な医学雑誌に、小児の急性リンパ性白血病の過去三十年間の治療成績が発表された。
その論文では一九六〇年代初頭から現在までを四つの時代に分類し、それぞれの治療成績を報告している。
初期の長期生存率は一〇%であったが、時代とともに三五%、五〇%と上昇し、最近は七〇%に達している。

わが国での治療成績も同様に改善している。
この飛躍的な治療成績の向上は、もちろん新しい抗がん剤が開発されたことによるが、ほかにグループスタディーと呼ばれる多施設間の共同研究に負うところが大きい。
白血病を代表とする小児がんは成人のがんと比べ頻度が少ないため、単一の施設での少数の治療経験では分からない点も多い。
そこでなるべく多くの施設や病院の医師が集まり統一した治療法で患者の治療にあたり、その成績を検討することで、より有効な治療法が開発されてきた。

こうしたグループスタディーを通して、診断時の白血球数が多い患者、乳児や十歳以上の年長児は再発しやすいこと、また白血病細胞の種類により治療に対する反応性が異なることなどが明らかにされた。
これら予後因子に基づき、それぞれの患者に合った治療が行われるようになった。
すなわち診断時予後良好と予測される患者には副作用を考慮して必要最小限の治療を行い、予後不良な患者にはより強力な治療が行われる。

当面の目標はこの予後不良な患者をいかに救うかであるが、同時に予後良好な患者は晩期障害を残すことなく治療することも重要である。
白血病を克服した子供たちがどんどん成人に達し始めている。

患者を救うのみでなく、できるだけ正常に発育させることも常に考えて治療してゆかねばならない時代に来ている。
(平成5年11月12日 産経新聞掲載記事)
大学病院には医師や看護婦をはじめ、薬剤師、検査技師、レントゲン技師、ソシアルワーカーや事務職員などさまざまなスタッフがいる。
その役割上、高度専門医療を担っており、精密医療機械やコンピューターがたくさん導入されているが、何といっても必要なのは人手である。

ところで、この大勢のスタッフの中で無給で働いている若い医師たちがいるのをご存じだろうか。
ストレートに医学部を卒業しても、医師となるのは二十四歳。その後二年間の研修医を経て、関連病院を回りながら臨床医としての経験を積む。
大学に戻って、診療を行いながら学位取得のため専門の研究を行う。早くて三十歳前後で博士号を取るのが一般的なコースであろう。

各医局には教授を筆頭に助教授、講師、助手と呼ばれるポストがある。
定員が決まっており、多くの医師を抱える医局では助手の順番がなかなか回ってこないため、無給で働かざるを得ない医師もいる。
こうした若手の無給医師が意外と多いのである。彼らとて生活がかかっており、関連の病院でアルバイトをして生計を立てている。

A先生は今春から多くの重症患者を受け持ち、日曜も夏休みもない働きぶりであった。
九月に三十二歳で助手になり、先日生まれて初めてのボーナスを手にして感激にひたっていた。

また、今年三十一歳になったB先生は朝早くから夜遅くまで診療にあたる働き頭であるが、もうしばらくは無給が続きそうである。

彼らは臨床経験もある程度積んでおり、若くて体力がある。そして何より、情熱にあふれている。日本の大学病院の医療の一翼はこうした若い医師たちの情熱に支えられていることを、ぜひ知っていただきたい。
(平成5年12月24日 産経新聞掲載記事)
最近アメリカの有名な医学雑誌に、小児の急性リンパ性白血病の過去三十年間の治療成績が発表された。
その論文では一九六〇年代初頭から現在までを四つの時代に分類し、それぞれの治療成績を報告している。
初期の長期生存率は一〇%であったが、時代とともに三五%、五〇%と上昇し、最近は七〇%に達している。

わが国での治療成績も同様に改善している。この飛躍的な治療成績の向上は、もちろん新しい抗がん剤が開発されたことによるが、ほかにグループスタディーと呼ばれる多施設間の共同研究に負うところが大きい。
白血病を代表とする小児がんは成人のがんと比べ頻度が少ないため、単一の施設での少数の治療経験では分からない点も多い。そこでなるべく多くの施設や病院の医師が集まり統一した治療法で患者の治療にあたり、その成績を検討することで、より有効な治療法が開発されてきた。

こうしたグループスタディーを通して、診断時の白血球数が多い患者、乳児や十歳以上の年長児は再発しやすいこと、また白血病細胞の種類により治療に対する反応性が異なることなどが明らかにされた。
これら予後因子に基づき、それぞれの患者に合った治療が行われるようになった。
すなわち診断時予後良好と予測される患者には副作用を考慮して必要最小限の治療を行い、予後不良な患者にはより強力な治療が行われる。

当面の目標はこの予後不良な患者をいかに救うかであるが、同時に予後良好な患者は晩期障害を残すことなく治療することも重要である。
白血病を克服した子供たちがどんどん成人に達し始めている。

患者を救うのみでなく、できるだけ正常に発育させることも常に考えて治療してゆかねばならない時代に来ている。
(平成4年 産経新聞連載記事)
日本版"マクドナルドハウス"を
アメリカにロナルドマクドナルドハウスという、がんの子供たちとその親のための宿泊施設がある。
四年前、日本の「がんの子供を守る会」の二十周年記念シンポジウムに招かれたフィラデルフィア小児病院のエバンス教授の講演で初めて知った。
アメリカでは各州に大きな小児病院があり、難病の子供たちの治療にあたっている。ここでは、あらゆる小児疾患に対する経験豊かな専門スタッフがそろっている。
国土が広いアメリカでは遠方から来ている患者が多いうえ、日本と比べ入院費が格段に高いため、厳しいがんの治療でさえ外来で行われることが多い。必然的に病院の近くに安い宿泊施設が必要となる。こうして建てられたのがロナルドマクドナルドハウスである。

名前にあるように、ハンバーガーのマクドナルドがスポンサーになっている。第一号は一九七四年にフィラデルフィアに建てられ、その後アメリカのみならず世界各国に広がり、現在約百ヵ所できている。
そこでは、がんと闘う子供たちは親とともに寝起きし、同じ苦しみを持つ他の家族と励まし合って生活している。
また多くの地元ボランティアが彼らを支えている。東京にもマクドナルドハウスをという話はあると聞いているが、地価が高くて実現しないらしい。

先のエバンス教授は講演の中で「お金持ちの日本にどうしてマクドナルドハウスができないか不思議だ。私が東京で乗ったエレベーターはほとんどがある有名電気メーカーのものであったが、こういう企業が寄付すべきでは」と力説していたのが印象的であった。
ボランティアや寄付行為に対する日米国民の意識の差は大きいようであるが、良い点は見習いたいものである。
(平成4年 産経新聞連載記事)
医療技術が進歩して、以前は不治の病とされていた病気が治ったり、治らないにしても慢性疾患となってきています。
そして依然として解決されていない疾患に対しては医師達の不断の努力が続けられています。

私は小児のがんや血液の難病の診療と研究に20年以上関わってきました。この間治療成績の進歩は著しく、今は小児がんの70%は治癒するようになりました。
中でも最も頻度の高い急性リンパ性白血病の治癒率は80%を超えるまでになっています。
幸いにも私の医師としてのキャリアは、まさにこの劇的な医療の進歩とともにあったように思います。

小児がんの多くが治るようになった現在、小児期に発病した子供達が現在、どんどん成人になりつつあります。
しかし、病としての小児がんを克服した彼らも、晩期障害と呼ばれる恒久的な副作用に苦しんでいたり、様々な心理社会的な問題を抱えています。
私たちの最終的な目標は彼らが、様々な困難を乗り越えて、健常者と同じような社会生活を送れるように支援することです。
このような背景から、3年前に私たちは他科の医師や医療ソシャルワーカーの協力をえて、16歳以上の年齢に達した元小児がん患者を対象とした長期フォローアップ外来を始めました。

Sさんは11歳の時脳腫瘍と診断され、A医療センターで手術を受けました。
下垂体と呼ばれるホルモンの中枢にあたる部位の腫瘍であったため、術後はずっと、全てのホルモンの補充療法を必要とするようになりました。
小中学校では担任の先生の理解も乏しく、陰湿ないじめも受けて、学校に行けない日の方が多かったといいます。
ホルモン療法はB大学の小児科で受け、思春期になり生理をつけるため、B大学の産婦人科にも通うようになりました。
身長も伸びないため成長ホルモンの注射もしました。そのうち、食欲不振と吐き気に悩まされるようになって、C大学の消化器内科にかかる様になりました。
結局、彼女は3つの医療機関の4つの診療科に通うことになってしまったわけです。
もうお分かりのことと思いますが、どの医師も彼女の病気は見てくれるが、彼女自身を診てくれる医師ではなかったのです。
言葉を変えれば、どの医師もそれぞれの病気を一生懸命見ているのですが、複雑な心理社会的問題を抱えた人間としての彼女を診ていなかったといえるのではないでしょうか。
24歳になった彼女は、縁あって私の外来を受診するようになりました。
あれから3年経った今、彼女はやっと一人の女性として自立しようとしています。

難病を相手にしていると、ついつい病気にばかり目が行ってしまうものです。
今、大学病院で行われている医療は、このような医療が少なくないことも事実です。
医師は時に視点を後ろに引いて、目の前の患者を診るようにしないと、せっかくの懸命な医療行為が患者を幸せにしないという、両者とも不幸な結果に終わることになってしまうと思います。

小児がん経験者の話

故郷に帰って小児科内科クリニックを開業して、早いもので3年が経ちました。
この間地元の皆様には物心両面でいろいろお世話になりました。おかげさまで今ではすっかり地元になじみ、快適に仕事に専念できるようになりました。
あらためて皆さんにお礼を申し上げます。 さて、私は医学部を卒業したら早い時期に帰って地元の皆さんのために働こうと考えていました。
ところが医学部の5年生の病棟実習で受け持った3歳の白血病の男児に出会ったことがきっかけで小児医なることを決意しました。今振り返っても運命的な出会いでした。
当時、1970年代後半は白血病といえばまだ、不治の病という時代でした。その子は、とても利発で可愛い子でした。ご両親の悲嘆は想像を絶するもので、学生でしたがなんとかしてあげたいという気持ちになりました。

順天堂大学を卒業後小児科医になり、約20年にわたり子供の白血病や小児がんの診療に従事してきました。
この間の医学の進歩は素晴らしく、いまや小児がんの70%は治る時代になりました。
多くの病気の子供たちに接し、その家族とも交流を持ってきました。
小児白血病は3~6歳くらいに発症することが多く、今や私達が治療にかかわってきた子供たちの多くが治癒し、成人になりつつあります。実際に社会人として活躍している人も少なくありません。
中には看護師や医師になった人もいます。
その一方で、様々な問題もあって苦労している患者さんも少なくありません。小児がんに対する社会の認識不足のため実際に治っているのに入学や就職の際、差別を受けたり、また治療による慢性的な副作用(晩期障害)に苦しんだりしている人もいます。

晩期障害は投与された抗がん剤や放射線照射が原因で起こりますが、具体的には輸血によるC型肝炎、成長障害、神経障害、側湾症、心理社会的問題など多岐にわたります。
厳しい治療により治癒した後も様々な障害と闘わねばなりません。

私は1988年に順天堂大学に小児がん経験者のための長期フォローアップ外来を日本で初めて開設しました。対象は高校生以上になった元小児がん患者ですが、彼らのほとんどは元の病気は治っているものの、晩期障害や様々な心理社会的問題を抱えているために、この外来で診察のみでなく様々な相談にのっています。未だ多くの施設では病気が治った後のケアは十分ではありません。私が高知に帰った後も第2,4木曜を休診にして上京しているのは、この外来を継続するためです。
小児白血病は薬の投与のみで治った最初のがんであり、近年のがん治療のサクセス・ストーリーの最たるものとされています。
子供の場合、病気を克服した後の人生は長く、思春期の悩み、晩期障害の問題、小児医療から成人医療への移行など問題は山積しています。
上京の際は朝1番の飛行機に乗ると順天堂には10時に着きます。午前、午後と外来で彼らの話を聞いて、翌朝1番の便で帰ると10時過ぎからクリニックでの診療が可能です。
こうして開院前に計画していたことを3年間やってきました。もう少し頑張って小児がん経験者の将来を見守りたいと思っています。
(平成16年 日章公民館ニュース)
小児癌(がん)の治療成績は最近大きく改善したが、これは抗癌剤の進歩に負うところが大きい。
しかし、抗癌剤の投与にはさまざまな副作用がつきもので、中でも吐き気や嘔吐(おうと)はつらいものである。
また、抗癌剤投与後の白血球減少も重大な問題であり、その結果重症の感染症を合併し、時に致命的となることさえある。

ここ数年、これら二つの副作用を予防する画期的な薬剤が開発された。
抗癌剤による嘔吐のメカニズムはまだ十分に分かっていないが、セロトニンという物質が放出され、これが嘔吐中枢を刺激するのではないかと考えられている。
そこで、このセロトニンの働きをブロックする薬剤が開発された。
実際に投与してみると効果は絶大であり、以前は激しい嘔吐を訴えていた患者さんも軽い吐き気を訴える程度まで改善する。
本人はもとより看(み)ている家族にとっても大変な救いである。

もう一つの、そして最も重大な副作用は抗癌剤投与後の白血球減少である。
白血球の多くを占める好中球と呼ばれる細胞は最近を殺す働きを持っており、ヒトを細菌感染から守る重要な役割をしている。
血液中にはこの好中球の数を増やしたり、その働きを強めたりするG-CSFという物質があることが分かり、数年前バイオテクノロジーの技術を用いてこの物質が薬品として製造されるようになった。
抗癌剤を投与された患者さんに、このG-CSFを注射すると白血球減少の程度が軽減される上に、その期間が短縮される。
その分だけ感染の危険性が少なくなり、仮に感染を合併しても回復が早くなる。結果的に入院の期間も短縮されることになる。

この二つの薬は癌に対する直接の治療薬ではないが、患者さんの"生活の質"と治療成績の向上に大きく貢献している。
(平成4年 産経新聞連載記事)
癌(がん)早期診断する方法のひとつに腫瘍(しゅよう)マーカーの測定がある。
ある種の癌は、その癌特有の物質を産生するので、血液や尿中のこれらマーカーを測定することにより検診が可能となる。
小児の固型腫瘍の代表である神経芽腫はカテコールアミンを産生し、その代謝産物が尿中に排泄され、特異性の高い腫瘍マーカーとなる。
この腫瘍は四歳くらいまでの乳幼児に発生するが、多くは進行した状態で診断されるため、予後不良であった。

そこで、この腫瘍マーカーを測定してスクリーニングを行い、早期癌の状態で診断する試みが世界に先駆けて日本で始められた。
六ヶ月の乳児の尿をしみ込ませたろ紙を検査センターに送り、腫瘍マーカーを測定する方法である。
現在、全国で毎年約百万人の乳児がスクリーニングを受けている。その中から百件以上の患者が早期診断され、ほとんどが治癒しており、世界中から注目されている。

ところが、六ヶ月の検診では発見されず、一歳以降になって進行例として診断される患者が、いまだにかなり存在している。
一回だけのスクリーニングでは仕方がないことかも知れない。

検診でみつかる腫瘍と後に発症する腫瘍を詳しく調べてみると、かなり性格が異なることが最近明らかになってきた。
前者の多くは比較的おとなしい性格のものであるのに対して、後者は進行が早く悪性度が高い。どうやら神経芽腫は二つのグループに分かれるらしいのである。

いずれにしても、尿一滴で癌が早期発見できるようになったことは画期的なことである。
現在、一歳六ヶ月で再検査を行い、悪性度の高い腫瘍を早期発見する試みが行われている。
(平成4年 産経新聞連載記事)
子供の場合は白血病が一番多く、その他脳腫瘍、神経芽種などがあり、大人に多い胃がんや肺がんはほとんどありません。がんの種類が全く違います。
また、大人は4人に1人が、がんで亡くなるといわれますが、子供の場合は一番多い白血病でもその頻度は2万5000人に1人とまれな病気です。
従って、多くの施設が共同で治療方法を研究することがとても重要です。

子供の具合が悪いと親は過敏になりがちですが、どういう場合に気をつけたらよいでしょうか。

熱がぐずぐず続く、元気がない、顔色が悪いというような症状があります。
風邪かと思って、気が付きにくい事が多いのですが、長引く時は専門医にかかってください。
リンパ腺や腹が膨れていたり、実際に親が腹のしこりに気づくこともあります。
子供には成長痛などがありほとんどの場合、なんでもないのですが、白血病の子供100人に聞けば約3割は「足が痛い」と言います。いくつかの症状が重なっていると要注意ということです。

子供の場合、正確に症状を訴えられないうえに、進行が早いので、転移して見つかることも少なくありません。
早期発見は難しいですが、だからといって悲観する必要はありません。
「転移イコール致命的」というのは大人の場合で、子供の腫瘍細胞は薬や放射線による治療がよく効きます。全体の6,7割が治るようになりました。

後遺症などはどうですか。

晩期障害といって白血病などの治療の影響で後になって障害が出る場合が30%ほどあります。
成長障害、神経障害、心臓の障害、輸血後肝炎などいろいろな後遺症があります。
体に症状が出ていなくても精神的に不安定になるケースがあります。

平成11年6月30毎日新聞掲載<専門医 石本浩市さんに聞く>より抜粋
小児がんを克服した人たちを悩ませる「晩期障害」。
長期間にわたるフォローアップが求められるものの、まだその体制は不十分といわれている。
日本では数少ない晩期障害の長期フォローアップ外来を実践する石本浩市先生に、ケアの実情と展望についてうかがった。
小児がんを診るために小児科を希望
「医学部5年生の秋、臨床実習で受け持った白血病の男の子が、私の医師としての人生を決めたといっていいでしょう」
あけぼの小児クリニックの会議室で、石本先生は当時を振り返りながらひとりの患者さんのことを話し出した。
「その子はとても利発な子でしてね。3歳になる男の子でした」。

1970年代、白血病は不治の病に等しく治癒率は30%以下。告知を受ければ、死を意識せざるを得なかった。
罪もない子どもが理不尽な目にあう現実を前にして、若き日の石本先生は"小児科医になろう"と決断した。
白血病は小児がんの40%を占め、その80%が3~6歳までに発症するALL(急性リンパ性白血病)である。そして1万人に1人、毎年約2,500人の患者が新たに発生している。

「私が小児科医になった頃と比べると、今では小児がんの治癒率は飛躍的に向上しました。それは1980年代前半から、精力的なグループスタディが行われ、さらに化学療法や支持療法が大きく進歩したからです」

現在の小児がんの治癒率は80%近くまで向上し、失われていた多くの命が救われている。

「治癒率の向上は非常に喜ばしいことですが、忘れてならないのは治療終了後のQOLです。小児がんを克服しても、後になって晩期障害が出てくる人は半数近く、彼らの人生にとって大きな問題となっています」
長期フォローアップ外来の重要性
石本先生は毎月1回、朝7時35分高知発の羽田便に乗り、母校である順天堂大学医学部附属順天堂医院へと駆けつける。
午前中は小児科、午後は総合診療科の外来を担当。小児がんを克服した人たちの晩期障害のケアや心理社会的問題のケアに当たっている。

「輸血によるC型肝炎、また抗癌剤や放射線照射による後遺症が、成長障害、神経障害などさまざまな形であらわれ、小児がんを克服した人たちを悩ませています」
残念なことに、小児がんを克服して成人になった人たちの多くが、自分の病気について説明を受けていない。

「自分が大病を患ったことは知っていても、親や治療をした医師も肝心なことは教えてくれないため、大人になってから現れる晩期障害に対する適切な治療を受けられない人もいます」
総合診療科には、石本先生が担当した患者さんだけでなく、成人になってから小児がんであったことを知った人や、主治医と離れてしまったという患者さんも訪れる。
「小児期に受けた治療による晩期障害は、年齢とともに発症する頻度が高くなるため、生涯にわたるフォローアップ体制が非常に重要です。
ところが日本には、小児がんの晩期障害を長期的にフォローアップする外来は、まだほとんどないのが現状です」
期待される小児がん専門医と一般内科医の連携
成人した小児がん経験者の多くは、治療を受けた元の医療機関を受診しなくなり、身体の具合が悪くなった場合は、地元の一般内科医を受診すると思われる。
「晩期障害に関する問題が起きた時、自分の病気について知らない場合や、仮に知っていても、一般内科医が晩期障害について詳しくない場合が考えられます」
小児がん経験者のほとんどは自分の治療記録を渡されていないのが現状である。
記録が残っていないだけに、患者が自分の病気について正しく説明できるかどうかも疑問だ。
このような問題が想定される以上、一般内科医と小児がん専門医との連携が必要になってくる。

米国では、このようなケースに備えてChildren's Oncology Group(COG)が長期フォローアップについて、プライマリケアと患者用の情報を公開している。
現在、日本でも「がんの子どもを守る会」による「小児がん経験者のケアのためのガイドライン」が作成されているが、まだ小児がん専門医と一般内科医を連携するパイプはほとんど存在しない。
石本先生は「開業している小児科医、その中でも小児がんの治療に携わった経験のある全国の小児科医がプライマリケアを担い、必要に応じて地域の一般内科医に紹介するネットワークが現実的ではないか」と語り、「『がんの子どもを守る会』を通して行ったアンケートでは、「引き受けてみたい」と名乗り出る小児科医も予想を上回ったことから、小児がん経験者のフォローアップ体制の確立にひと筋の光が見え始めたところです」と微笑む。

石本先生が、あけぼの小児クリニックを開業したのは2001年。
今は小児がんの長期フォローアップを続けながら、地域でごく普通の小児科診療を行っている。

「医師を志した時から、早い時期に故郷で開業するつもりでした。実際には30年後に帰ってきたわけですが、医師になることを勧め、クリニック開業用の土地を守ってきてくれた母にも親孝行ができたと思っています。残念なことに、母は開業4ヵ月後に亡くなりましたが、きっと喜んでくれているでしょう」
会議室が一瞬しんみりとしたのも束の間、診療時間が近づいてきたのだろうか...。外からは子どもたちの声が聞こえ始めた。
スマートムンストーンキャンプ
毎年、小児がん経験者が寝食を共にして、悩みを共有したり励まし合ったりするスマートムンストーンキャンプが開かれている。
キャンプの名前は小児がんの治療に関りの深い細谷亮太先生、月本一郎先生、石本浩市先生の頭文字である「細」、「月」、「石」から付けられた。
多くのボランティアに支えられ、2007年には10回目のキャンプを迎えるが、今では小児がん経験者がその中心となっている。
はじめに
治療の進歩により多くの小児がん患者がキャリーオーバーしてきています。
小児がんと診断されて5年以上生存している人を従来、長期生存者と呼んでいましたが、この言葉に対しては当事者やその家族から違和感が唱えられていることから、最近、われわれは小児がん経験者という言葉を使うようにしています。
キャリーオーバーは他の小児難病と共通する現象ですが、小児がんには疾患特有の問題があります。
Ⅰ型糖尿病や膠原病など成人後も継続して治療が必要な疾患とは異なり、ほとんどの小児がんでは成人するまでに治療は終了しています。
しかし、小児がんの場合は治療の後遺症や心理社会的問題が経験者のその後の人生に様々な影響を残します。
特に、晩期障害と呼ばれる治療終了後にみられる後遺症が、約半数の患者さんに認められ、時に身体的問題にとどまらず、心理的にも大きな問題となっています。
こうしたことから、従来の治療に主眼を置いた医療から、長期的な展望に立ち、治療終了後のQOLを考慮した新しい診療システムが必要になってきています。
本稿では私たちが行っている小児がん経験者のための長期フォローアップ外来を紹介し、その問題点と今後の展望について述べてみたいと思います。
長期フォローアップ外来のシステム
1998年の時点で私たちが順天堂で診ている小児がん患者128人の年齢分布を5歳ごとに見てみたところ、
5歳までに24 人、6歳~10歳に32人、11~15歳に42人、16~20歳に21人で、20歳以上の人も9人いることが分かりました。
このデータは、われわれの施設でも早晩キャリーオーバー患者の対応に問題を来たす可能性を示唆しており、早急に対応すべき課題と捉えました。
そして、同年4月、長期フォローアップ外来を開設しました。
外来の目的は
  1. 晩期障害への対応
  2. 心理・社会的な問題への支援
  3. 他科との円滑な連携
  4. 健康管理教育
としました。
最後の健康管理教育については当初、余り深く考えていませんでしたが、後に喫煙者がかなりいることを知り、重要な課題と考えるようになりました。
喫煙の問題以外にも晩期障害の予防につながる適切な生活習慣の指導もフォローアップ外来で行うよう努めています。
対象は治療が終了した高校生以上の患者さんとしました。
また、彼らの年齢を考慮して、外来を小児科から総合診療科に移し、原則として、一人で受診するように指導しました。
実際の外来は小児科医が中心になって、ソーシャルワーカーにも陪席してもらい、様々な問題に柔軟に対応できるようにしました。
総合診療科の外来を使用するにあたっては、病院長や診療科と交渉して許可を得ました。
また、看護師や事務職員にも長期フォローアップの意義を理解して協力してもらえるように講習を行いました。
小児科医が対応できない問題が生じた時は適宜、他科を紹介し、その際、単に紹介状を書くのみでなく、時には小児科医やソーシャルワーカーが付き添って外来に赴き経過の説明を行いました。
実際に連携したのは血液内科、循環器内科、消化器内科、婦人科、脳外科、整形外科、泌尿器科、精神科などです。
これまでに通院したのは59名で、年齢は16歳~37歳で中央値は21歳です。経過観察期間は5年~37年で中央値が15年です。
この中には私たちが順天堂で治療した患者さん以外に、本外来の趣旨を知って紹介されたり、直接、受診されたりした患者さんも10人以上います。
告知については何人かの親は消極的でしたが、晩期障害や将来にわたる健康管理の必要性などを繰り返し説明し、結局、全員に告知をすることができました。

しかし、キャリーオーバーした小児がん経験者の中には告知されていない人が少なくないのが現実です。
結婚している方が8人いて、7人が女性です。2人の女性が健常な子供を出産しています。
疾患の内訳は、がんの患者さんが47例で急性リンパ性白血病(16人)が最も多く、急性骨髄性白血病(5人)や悪性リンパ腫(6人)などの血液腫瘍の他に網膜芽細胞種(8人)、脳腫瘍(3人)、横紋筋肉腫(2人)、神経芽腫(2人)、腎芽腫(2人)など様々な固形腫瘍の患者さんがいます。
その他、血液疾患が12例で再生不良性貧血や紫斑病も一緒に診ています。
晩期障害について
晩期障害は手術、化学療法、放射線療法などの治療が原因で起こる治療終了後の障害と定義されています。
晩期障害は原疾患の種類、患者の年齢、受けた治療法によりその頻度や種類が異なります。
予後良好な急性リンパ性白血病では比較的少ない一方で、脳腫瘍では、ほとんどの患者さんに見られます。
また、年齢が低い程、障害が出やすい傾向があります。
抗がん剤の種類により特異的な後遺症が知られており、特にアントラサイクリン系の抗がん剤による心毒性はよく知られています。
放射線治療の影響は線量が多い程、強く残り、造血幹細胞移植などの強力な治療では何らかの晩期障害は避けられません。
小児がん患者全体では約半数に何らかの晩期障害を認め、25~30%に複数の障害を認めることが報告されています。

実際に私たちの患者さんにも49人中25人に、ひとつ以上の晩期障害を認めています。
早期から見られた合併症としては下肢麻痺、出血性膀胱炎、Ⅰ型糖尿病、汎下垂体機能不全がありますが、その他のC型肝炎、心筋障害、低身長、無月経、早期卵巣不全、難聴、脊椎側湾症、大腿骨壊死などの障害は治療終了後、5年~10年以上経って出てきたものです。
特に無月経の人は乳児期に腹部に放射線照射を受けたことが原因で、20歳を過ぎた頃、生理が無くなった例です。
この方の母親が新聞で私たちの外来ことを知り、直接受診されました。
それまで本人は告知を受けておらず、元の医療機関からも離れ、産婦人科では早期卵巣不全と診断され、途方にくれた状態で受診されました。
乳幼児期の腹部照射が原因と考えられる早期卵巣不全の報告は海外では見られるものの、本邦では無く、われわれも大変衝撃を受けました。
大腿骨頭壊死の例は思春期に悪性リンパ腫の治療を受けた女性で、10年経って発症したものです。
これは思春期の女性にステロイドホルモンを投与した場合起こることが知られている合併症です。
このように晩期障害はいつ起こるかわからないところがあり、継続して経過観察を受けることがとても重要です。
元の医療機関と縁が切れて、カルテもない、主治医もいない、その患者さんの情報を知っている医療者が誰もいないということは避けなければなりません。
成人医療への移行
長期フォローアップ外来を立ち上げて7年が過ぎました。
この間、様々な成人医療の専門医に患者さんを紹介した経験から、結局、小児医療と成人医療は全く異質の医療であることを再認識しました。
われわれ小児科医は成長発達している子供を末広がりの視点で診ています。
乳幼児期から患者を診続けている小児科医はともすれば、患者の成長に気付かず、対応を誤る危険性も持っています。
キャリーオーバーの診療に当たる際はこの点を常に留意すべきでしょう。一方、成人医療の対象は自立した大人であり、実際にはほとんどが高齢者です。
ある意味で人生の終末のQOLを良くすることを目的とする医療ともいえます。従って、小児科医の元から急に成人医療の専門医に移行すれば戸惑うのは当然です。
この異質な医療の橋渡しは重大で困難なテーマです。
私はこの長期フォローアップ外来に通う数年間こそ、移行を円滑に行うための適当な準備期間になると考えるようになりました。

小児がん経験者の悩みは独特であり、成人医療の専門医に共感を求めることは期待できません。
われわれ小児医療のスタッフは必要な場合は適切に他科の医師を紹介して、彼らがそのまま小児科を卒業できればそれを見守りたいと思います。
その上で、彼らが何かにつまずいた際には、再度フォローアップ外来に戻り、一緒に解決法を考えるというスタンスが理想的だと思っています。
米国の取り組み
米国の取り組みを紹介します。
現在、Children Cancer Survivor Study(CCSS)という研究が進行中で、約15,000人の5年以上の長期生存者が登録されていて、さらに対照としてその兄弟も3,500人登録されています。
彼らを長期にわたり追跡調査して、晩期死亡の頻度と原因、二次がんの問題、喫煙などの生活習慣の問題、精神疾患の問題など様々なテーマで研究が進行しており、既に多くの論文が発表されています。
この研究を支えているのは、まさにサバイバーの人たちであり、彼らには常に最新の研究成果が反映されるように、ホームページ(http://www.cancer.umn.edu/ltfu)に年4回ニュースレターが掲載されています。

実際の長期フォローアップについては、全米を統括する小児がんの共同研究グループであるChildrens' Oncology Group(COG)がウエブサイト上(http://www.survivorshipguidelines.org/) にガイドラインを提供しています。

具体的には晩期障害については受けた治療法別に発生する可能性がある障害の種類、その危険因子、検査法や予防法などが詳細に紹介されています。
さらに小児がん経験者のために分かりやすい解説も見ることができるようになっています。
このサイトの利点は小児がんや晩期障害の知識が乏しいプライマリ・ケア医でも最新の情報にアクセスできることす。
小児がん経験者が彼らを受診しても、治療内容さえ分かれば対応ができるように意図されています。
これは、治療終了から時間が経つ程、元の専門医療期間を受診する機会が少なくなり、実際に何か問題が起こった時は、プライマリ・ケア医を受診することが多いことが調査の結果明らかになっているためです。
わが国の状況
一方、わが国では長期フォローアップ体制はまだ、ほとんど整備されておらず、晩期障害についてもまとまったデータがないのが現状です。
現在、4つの小児がんの共同研究グループが活動していますが、これらを米国のCOGのようにひとつにまとめる目的で2003年に日本小児白血病リンパ腫研究グループ(JPLSG)が発足しました。
その中に長期フォローアップ委員会ができて、全国各地からメンバーが選出され、わが国の現状に即したシステム構築に向けた活動が開始されました。
具体的にはわが国の晩期障害の実態調査、長期フォローアップのガイドライの作成、全国共通の治療サマリーフォーマットの作成、専門施設の整備などが検討されています。
おわりに
子供が、がんになるということはとても理不尽で辛い体験ですが、それでもプラスになることは少なくありません。
たくさんの小児がんの患者とその家族を診てきましたが、辛い経験を乗り越えて、本人が非常に精神的に成長して、家族の絆も強くなったという例を少なからず経験しました。
そのためには、もちろん適切な医療支援が欠かせません。トータルで継続的なケアが必要です。
医師と看護師の他にソーシャルワーカー、臨床心理士、病棟保育士、さらに最近はチャイルドライフスペシャリストが活躍している施設も見られます。
ボランテアの活動も広がっています。それに加えて大事なことは、本人とご家族が病気のことを正しく理解することです。

現状ではキャリーオーバーした患者さんで告知されてない方も少なくありません。親のほうも時期を逸してしまい、今更言えないと黙している人もいます。
しかし、自分のことを知らなくて、親のケアから離れてゆく思春期以降に自己管理ができるでしょうか。
親の会や当事者の会が果たす役割も益々重要になってきています。特に当事者同士の交流は、自らの物語を作るという作業を促し、彼らの成長に大きな意味を持っています。
さらに、彼らが社会に向けて情報を発信することは、現実の姿を知ってもらい、不当な差別を受けないためにも大切なことです。
こうして、あらゆる力が結集されて、小児がん経験者がよりよい人生を歩むことを願って止みません。
小児がんフォローアップ外来、開設7年
小児がんは約7割が治るようになり、治療終了後の新たな支援体制が求められる時代になった。
小児がん専門医の石本浩市医師(54)が、小児がん経験者たちのための長期フォローアップ外来を、全国に先駆け文京区の順天堂医院に開設し7年。
その取り組みや今後の課題について聞いた。
聞き手・川俣享子】
治療の後遺症、温かい目で
--小児がんは15歳以下で発症する悪性腫瘍(しゅよう)を言いますが、大人のがんとの違いは。
大人のがんは肺がんや胃がんなど管腔の表面の細胞が、がん化するものがほとんど。
子供には血液のがん・白血病が最も多く、リンパ節、交感神経節、腎臓、肝臓、筋肉、骨などにできる肉腫が多く、病気の種類が違う。
子供は正確に自分の症状を訴えられず、進行も早いため、転移した状態で診断されることも少なくない。
それでも、抗がん剤や放射線治療がよく効くので、治癒が期待できる。
--発症数は。
1万人に1人、年間約2000人から2500人が発症している。治癒率は70年代は3割、80年には半数に達し、現在は約7割が治るようになった。
小児がんを経験した成人は国内で1万人以上はいると推計される。
--生存者が増えた中での課題は。
治療終了後の子供たちのQOL(生活の質)が問われる時代になった。
しかし、現在治って成人している人の中には、病気の説明を受けていない人も少なくない。その中に治療終了後、何年もたってから障害が出てくる人もいる。
--それが晩期障害ですね。
抗がん剤や放射線照射など治療による後遺症だ。
C型肝炎、成長障害、神経障害、ホルモン分泌障害、不妊、心的外傷後ストレス障害など、なんらかの晩期障害は半数近い経験者にみられる。
--98年4月から長期フォローアップ外来を始めた理由は。
小児がんを克服した人たちの健康管理や晩期障害、心理社会的問題に焦点を絞ったケアを提供するためだ。
年齢を考慮して外来を小児科から総合診療科へ移して、小児科医が中心となり、ソーシャルワーカーにも協力してもらって、症状に応じて他の診療科を紹介している。
16歳以上の約60人が通院中だが、元の主治医と離れてしまったり、元の主治医が対応してくれない問題を抱えている患者さんも訪れている。
まだフォローアップ体制は遅れている。
--なぜ広がらないか。
多くの小児科医が必要と感じながら、治療の延長線上で小児科だけで対応してしまう傾向がある。
そうではなくて、他科とも協力して、治療終了後のQOLを考慮したサービスを提供する外来こそ必要だ。
今、私たちがやっているようなフォローアップ体制を全国に作ろうとする試みが始まりつつある。
--告知については。
今は本人に病気の説明をすることが一般的になってきた。告知していない場合は、晩期障害のことも考慮して、主治医ともよく相談してもらいたい。
「がんの子供を守る会」(電話03・5825・6312)では、ソーシャルワーカーが相談に乗ってくれる。
--社会に望むことは。
大変な経験をして小児がんを克服した人たちなので、人間的にも成長している人が多い。
なんらかの晩期障害があったとしても、普通の人たちと同じような温かい目で見守ってほしい。本人たちも、特別視されないことを望んでいる。
スマートムンストン・キャンプ
98年に始まったスマートムンストン・キャンプ。
病気を克服して成長する子供たちを毎年見守り続けてきた細谷代表・聖路加国際病院副院長と、石本浩市・あけぼの小児クリニック院長の両医師に聞いた。
聞き手・井上卓弥】
--今回は、初参加の小学生も目立ちました。
小さい子に対しても、告知が進んできたということだと思います。
普通の子どもでもなかなか行けない山登りを体験した子もいて、達成感はこれまでのキャンプでも一番大きかったんじゃないでしょうか。
--8年前と比べ、キャンプや小児がんを取り巻く環境は変わりましたか?
97年、(俳優のポール・ニューマンが主宰する)米国のキャンプに参加し、毎日新聞のキャンペーンで「日本でもやってみようか」と考えたのが最初でした。
当時は病気を告知された子がほとんどなく、ボランティアにも経験者は少なかった。
--参加者の平均年齢も20代でしたね。
グループ・リーダーもほとんどが経験者となり、代替わりしました。
自己管理できる病気の経験者、そういう人たちの存在を認めてくれる一般の人を増やすのが目標でしたが、それが少しずつ実現してきていると実感しています。
--これからの課題は?
2年前ぐらいから、キャンプでもようやく話が出てきた思春期以降の独特の問題があります。
放射照射や移植手術などの強い治療を施した場合、特殊な後遺症として不妊の問題が残る。同じ経験をした人でないと話せない。
担当医師は命を助けるので精いっぱいで、それから先にはなかなか意識がいかない。
--何かを犠牲にしなければならない場合でも、医者は何とか命を助けるから・・・・・・。
対象となる人たちは多く、時間の流れも長い。
問題を終生背負うこともあるから、相当大きなテーマです。
成人医療の専門医にはなかなか理解しにくく、小児科医がもう少し真剣に考えないといけない。
内科や産婦人科医に、考えについてきてくれる人たちを少数でもいいから作りたい。
両方で間の領域を埋める努力が必要でしょうね。
晩期障害とは何か
小児がんは、治らない病気から"治る病気"といわれるようになりました。
ところが、治癒した後に「晩期障害」という新たな問題が現れ、がんを克服した子どもたちの前にたちはだかっています。
晩期障害とは何か。
順天堂大学医学部付属病院(東京都・文京区)の「長期経過観察外来」でこの難題に取り組む石本浩市先生に、背景と実態、課題をうかがいました。
聞き手・医学ジャーナリスト 中安 宏規】
--私たちは小児がんの患者の7割を治癒させるというすばらしい結果を手にしましたが、一方であまり考えていなかった晩期障害が問題になっています。その背景は?
大人のがんの治療法は手術が中心ですが小児がんは抗がん剤投与や放射線治療の効果が高い。
進行性の場合も、抗がん剤を上手に使うと治るため、非常に強い治療が行われてきました。
そうした副作用が、治癒後に慢性的に出現するのです。
問題は乳児期から5~6歳にかけて発病するため、治癒後の障害が長い人生につきまとうことです。
さらに発育の過程で治療を行うことから障害が深刻な形で残ることです。
--具体的にどのような障害がでるのでしょうか。
白血病の場合、脳への再発を予防するため、頭部に放射線照射を行ってきました。
その結果、身長が伸びないとか、微妙な知的障害などが起きています。
現在では、この方法はハイリスクの限られたケースを除き、控えています。
おなかの患部への照射によって背骨が曲がることもあります。
--抗がん剤の治療でも晩期障害が発症しているのですか。
抗がん剤の中には、ある一定量以上投与すると心不全を起こすものがあります。
その水準を超えないようにしても障害が現れる場合があります。
深刻なのは、抗がん剤にはDNAを傷つけるものが多いため、別のがんを発病してしまうケースです。
たとえば、悪性リンパ腫の治療に抗がん剤を用いて白血病になった事例があります。
--晩期障害が現れるのは、実際にはどの位の割合ですか。
少なくとも治癒した子どもの30%、多い場合は50%に達します。
体に残る障害だけでなく、心に残るトラウマ(精神的外傷)も見逃せません。
さまざまな資料から判断しても30%~50%の後遺症が残り、子どものショックも大きいのです。
--そうした後遺症(晩期障害)は予想されなかったのですか。
ご存知のように、小児がんは20年ほど前までは不治の病でした。
副作用のことを考えるよりも、目の前で苦しむ子どもの命を助けることだけに集中していました。
やっと助かるようになって、ハッと気づいたら、命は助かったものの、体や心に傷跡が残っていた。
子どもが成長して社会に出ていくようになって、新たな問題としてクローズアップされるようになったのです。
--そこで先生は、順天堂大学在職中に「長期経過観察外来」を日本で初めて開設されたとうかがっています。
北海道の旭川医科大学の付属病院小児科に類似の外来があります。
順天堂大学病院の場合は、3年前に私が中心になって総合診療科の中に内科や産婦人科、小児科、精神科の医師とソーシャルワーカー、看護婦の協力を得て開設しました。
全員が問題の意義を理解してくれています。
実際のスタッフは、私とソーシャルワーカーの2人で、患者さんの病状に応じて協力者がチームを作り、治療を行う方式をとっています。
その意味では初の試みだったかもしれません。
--日本の医療制度では15歳までは小児科が担当し、それ以上は内科等の領域になっていますが、内科などにバトンタッチはできないのですか。
それがなかなか難しいのです。
内科の医師は、成人や老化に向かう患者さんを対象に診ています。
一方、小児科は発育していく過程の子どもをケアし、診るわけですから全く違う医療分野です。
内科の医師も患者さんも困るでしょう。しかも、晩期障害の場合は、生涯にわたって継続して診なければなりません。
--そこに小児科が責任を持つ長期経過観察外来の発憑があるわけですね。
趣旨はそうです。
しかし、小児科医がすべてに対応できませんから、小児科がキーバーソンになつて、問題が起きたときに各分野のスペシャリストに対応してもらう方式を考えました。
この問題で主治医が頻繁に代わることは、患者さんにとっても不幸なことですから、継続性を保つようにしなければなりません。
--今年7月から、高知県で開業されたそうですが...。
いろいろな事情から故郷へ戻りましたが、毎月2回上京して長期経過観察外来で患者さんと接しています。
今日も初診の若い女性から2時間ほど病状や経過を聞き、今後の対応を話し合いました。乳児期にがんを体験し、治癒したものの後遺症に悩まされていたのです。
このケースのように、この外来は訪ねた病院で解決できずに悩んでいる人を掘り起こす意義もあるのです。
--来春、国立小児病院と国立大蔵病院が統合して「国立成育医療センター」が発足、国の支援体制がスタートします。
お話ししたように、今後は小児がんを治せばよいのではなく、がんを持つ子供をトータルに診なければなりません。
以前からいわれていたクオリティ・オブ・ライフの重視が「やっと実現する」という感じで、こうした施設を各地に開設してほしいですね。
--社会への要望を聞かせてください。
子どもは子どもなりに病気と闘っています。
それをサポートし、子どもたちが苦難を乗り越えれば、社会に出て大きな力を発揮してくれると思います。
実際彼らの中には、医療関係を目指す子どもも少なくありません。
今後、こうした現場を身をもって知っている医師や看護婦、ソーシャルワーカーなど、その数が増せば、日本の医療界に与える影響は大きいでしょう。
夢がかなうよう社会の協力をお願いします。

【※晩期障害
抗がん剤や放射線照射などの強力な治療の副作用とみられる後遺症。
成長障害、神経障害、心臓・腎機能障害、輸血後肝炎、不妊のほか、精神的外傷も指摘されている。
子どもは治癒後も晩期障害の不安を抱えることとなり、小児がんが「子どものときの治療だけでは終わらない」といわれるのもこのためである。