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小児がんの子どもたちのキャンプの様子を10年間にわたり記録したドキュメンタリー映画「風のかたち」が完成した。

私は母校の順天堂大学で小児がんの診療に約20年関わった後、8年前、高知に帰って開業した。
小児がんは成人のがんとはその種類も生物学的特性も大きな違いがある。また、治療に対する反応も異なり、抗がん剤や放射線治療がよく効く。
今では小児がんの約80%は完治するようになり、既に多くの小児がん経験者が成人している。
しかし、幼い子供ががんになることのインパクトは本人もとより、家族に対しても計り知れないものがある。それだけに、家族全体を視野に入れたトータルで継続的なケアが必要とされている。

1997年夏、7人の小児がんの子どもたちが俳優のポールニューマン氏が主催するコネチカット州のキャンプ場に招待された。1988年に開設されたこのキャンプには毎年世界中から約1000人の子供たちが訪れる。広大なキャンプ場には湖があり、プールや体育館の他に劇場もあった。子供たちの世話をするのはカウンセラーと呼ばれ若者たちはる主に東部の大学生であり、ニューヨークやボストンから休暇をとってやってきたビジネスマンもいた。
オープンから10年目を迎えていたこのキャンプの卒業生の多くが既に大学生や社会人になっていて、カウンセラーとして戻ってきていた。子供たちは暖かい雰囲気の中で、同じ経験をした仲間にしか分からない思いを語り合い、短い間に強い絆が生まれていた。最後の夜には全員が劇場に集まり、参加者一人ひとりがステージに呼ばれ終了書が渡された。フィナーレは子供たちの写真が次々にスクリーンに写しだされるスライドショーであった。心の底から笑っている子供たちの顔が今も鮮やかに思い出される。

帰国した私は仲間たちにキャンプの様子を熱っぽく語った。そして、翌年、日本でも小児がんのキャンプが始まった。毎日新聞の「小児がん撲滅キャンペーン」に寄せられた読者からの寄付から援助を頂いた。発起人となった3人の児科医、細谷亮太、月本一郎、石本浩市の名前をとってキャンプにはスマート・ムン・ストーンというしゃれたニックネームが付いた。スマート(細)、ムン(月)、ストーン(石)というわけである。
当時、日本では少数派であった告知を受けている子どもたちに参加を呼びかけ、ボランティアを含む100人近い規模でスタートした。7月終わりの3日から4日間を大自然の中で遊び、夜は普段学校の友達に話せないことを語り合った。最初の2年間は三浦海岸で、その後は清里、阿蘇、北海道(滝川)と回り、2年前からは再び清里に戻った。

このキャンプの様子は2年目からドキュメンタリー映画の伊勢真一監督により記録されてきた。
幼くして命と正面から向き合わざるを得なかった彼らは、その闘病生活を通して生きていく上で最も大切なことを知っている。10年前に映像の中で看護師や保育士になりたいと語っていた彼らの多くが、その夢を実際に叶えている。あの時の少女の中の2人は母親になり、今年のキャンプには子供と一緒に参加するという。キャンプの代表者である細谷先生の「10年撮ったらベネティア映画祭に行こう」という半分冗談のような言葉は今、にわかに現実味をおびてきた。
「ヨット、ヨット、風のかたちは帆のかたち」。
三浦海岸で子供たちを乗せたクルーザーが疾走する様子を詠んだ細谷先生の句である。
映画「風のかたち」の上映は7月に始まる。高知でも自主上映会を予定している。乞、ご期待。
(高知新聞 平成21年5月29日)
5年間を振り返って
早いもので今年の7月で開院以来5年が経ちました。
当クリニックを訪れた初診患者さんは間もなく9,000人に達します。開業した時に考えたことは、
  1. とにかく郷里の人たちの役に立ちたい
  2. 自分が治療した小児がんの子どもたちの成長を見守るために順天堂大学での長期フォローアップ外来を続けたい
  3. 開業する日を長い間待ってくれた母に親孝行したい
という、3つのことでした。
一つ目は皆さんに評価して頂くとして、2つ目は5年間継続することができました。
この外来はわが国で初めての試みであったため、今では全国から注目されるようになりました。
3つ目の目標は残念ながら果たす間もなく、母はその年の11月に逝ってしまいました。人生なかなかうまくいかないものですね。
小児科医の役割とは
今回はあらためて小児科医について私の考えを述べてみたいと思います。
小児科医は子供の病気を治す医者ですが、同時に健診や予防接種を行い、子供の健康を守るという重要な役割も持っています。

子供の問題は親や家族の問題と密接に関係しており、さらに子供たちが生活している地域とも関わりがあります。 子供を診察する際は単に子供を診るのではなく、その家族や地域のことも考えながら診るという姿勢が必要だと思っています。

ここ数年、小児科医不足が社会問題となっていますが、少子化なのに何故小児科医が足りないのでしょうか?
実際に生活は豊かになり衛生状態も改善され、昔のように感染症などの急性疾患で子供が亡くなることはほとんど無くなりました。
その一方で、育児不安を抱える親が増え、子供の心の問題も深刻化しています。
また、成人になって出てくる様々な心身の問題の遠因は小児期にあることも少なくないことが分かってきました。
小児科医が役に立ちそうな分野がどんどん広がってきています。小児科医自身も視野広げて、多方面から子供とその家族を支援したいと考えています。

過去20~30年間、医学は高度に専門化され各臓器別に専門医が育成されてきました。
その結果、病気の治療は進歩しましたが、一方で自分が専門とする病気しか分からないという医師も少なくないのが現実です。 しかし、病む人の問題は生物学的な問題だけではありません。その人の存在全体を診る視点が欠かせません。
小児医療も専門化が進んでいますが、それでも小児科医は子どもの全身を診るという視点を常に持っています。
そして何より子供の成長を長い時間軸で見守るという特別な役割を持っています。これこそ小児科医の醍醐味なのです。
親の健康も守りたい
子供が健やかに育つためには親にも心身ともに健康であって欲しいと願っています。
育児や家事に忙しく、体調が悪くても自分のために医療機関に行くことのできない母親の健康状態に気を配るのも小児科医の仕事と考えています。
実際に子供を連れてきた母親が抱えている重大な病気を発見したことも少なくありません。
その経験を昨年「小児科医が見つける母親の病気」として学会発表したところ、予想を上回る反響を得ました。

また、仕事に忙しい父親の生活習慣病も気になります。特に親の喫煙問題は受動喫煙から子供を守るという点からも小児科医が取り組むべき重要なテーマと考えています。
喫煙に対する社会の目は年々厳しくなってきており、タバコの価格もまた値上がりしました。
今年6月、国は喫煙習慣を「ニコチン依存症」として治療すべき病気と認定し、ニコチンパッチを使った禁煙指導を「ニコチン依存症管理料」として保険適応にしました。

医療機関が保険診療で禁煙指導を行うためにはいくつかの基準を満たさなければなりません。
その一つが診療所内だけでなく駐車場も含めた敷地内を禁煙にすることです。
当クリニックも施設基準を満たして、今月から保険診療ができる施設として認可されました。
タバコを止めたいと思っている方は是非ご相談下さい。
(平成18年8月 日章公民館ニュース)
いわゆる民間療法について患者さんから質問を受けることが多い。
巷(ちまた)にはありとあらゆる民間療法があふれている。飲み薬から宗教的色彩の強いものまで、実にさまざまである。
病人が出たと聞きつけると、こんな良い薬や治療法があると勧めてくれる。
病気で悩んでいる本人やその家族は不安にさらされており、病気が重大なものであればあるほどワラにもすがりたい心境に陥っている。
その心理の隙間(すきま)に話が持ち込まれる。健康な人たちには、にわかに信じがたい治療法でも、当事者にとっては救いの神のように感じられるのである。

私は専門がら、白血病やがんの子供たちをみる機会が多いが、治療以外にもさまざまな問題が発生するため、定期的に親に集まってもらい、話し合いを行っている。
あるとき、民間療法を取り上げたところ、三人に二人は民間療法を勧められており、その半数の患者さんが実際に試した経験をもっていた。
近代医学は、攻めの医学であり、治癒(ゆ)を目指し、あらゆる治療が試みられる。当然のことながら治療がうまくいかなかったり、副作用に悩みながら闘病している人も多い。
民間療法に頼る人々を一概に批判することはできないのである。

私は患者さんから民間療法について相談を受けた場合は、まず内容を聞いてあげることにあいている。
患者さんの中には医師を信頼し、その治療法に従いながらも自らも何らかの努力をしたいと考えている人が多いからである。
そのうえで、相談された治療法の矛盾点や不明確な点を説明し、後は私たちが行っている治療に支障がない限り、患者さんの判断に任せることにしているが、残念ながら、人の弱みに付け込むような話が多いのが現実である。
(平成5年1月22日 産経新聞掲載記事)
五年前の話であるが、あのシーンが脳裏に鮮やかに焼き付いている。
当時、私は十三歳になる白血病の少女を診ていた。四歳で発病し、四年間は寛解(とりあえず治ったように見える状態)を続けていたが、その後再発を繰り返し、既に抗ガン剤はほとんど効かなくなっていた。
強力な治療を試みれば、もう一度寛解に入る可能性もあったが、治療に伴う危険も大きく、髪の毛も抜けてしまう状況であった。

彼女はもう十分頑張ったし、入院も絶対にしたくはなかった。
家族と共に家にいたかったし、大切な髪の毛がまた無くなることは耐えられないことであった。
本人も含め両親と何度も話し合った結果、抗癌剤は投与せず、自宅療養とし、できるだけ学校にも行くことにした。
その後、家族旅行を楽しみ、四~五ヶ月は比較的元気に生活をしていたが、次第に発熱や痛みを訴えるようになっていた。

そんなある日、少女が母親と共に外来を訪れた。
ちょうど、やはり白血病で治療中の、同い年の少年も母親と来ていた。少年には妹ができたばかりで、母親はその赤ちゃんを抱いていた。
待合室で一緒になったその二組の親子連れが話をしていた。
患者さん同士もお互い長い付き合いであり、親しい間柄だった。
白血病の少女とその母親は「まあかわいい」と声を上げて、丸々と太った赤ちゃんをのぞき込んだ。
新しい命と終わりつつある命のごく自然な出会いであった。
私は深い感動に襲われ、込み上げて来るものを抑えられなかった。

一ヶ月後、少女は息を引き取った。あの少年は今、高校3年生。青春の真っただ中である。
多くの子供とその家族と、悲しみや喜びを共にしてきたが、静かに流れてゆく人の命や運命をいつも感じ続けている。
(平成5年4月23日 産経新聞掲載記事)
最近アメリカの有名な医学雑誌に、小児の急性リンパ性白血病の過去三十年間の治療成績が発表された。
その論文では一九六〇年代初頭から現在までを四つの時代に分類し、それぞれの治療成績を報告している。
初期の長期生存率は一〇%であったが、時代とともに三五%、五〇%と上昇し、最近は七〇%に達している。

わが国での治療成績も同様に改善している。この飛躍的な治療成績の向上は、もちろん新しい抗がん剤が開発されたことによるが、ほかにグループスタディーと呼ばれる多施設間の共同研究に負うところが大きい。
白血病を代表とする小児がんは成人のがんと比べ頻度が少ないため、単一の施設での少数の治療経験では分からない点も多い。そこでなるべく多くの施設や病院の医師が集まり統一した治療法で患者の治療にあたり、その成績を検討することで、より有効な治療法が開発されてきた。

こうしたグループスタディーを通して、診断時の白血球数が多い患者、乳児や十歳以上の年長児は再発しやすいこと、また白血病細胞の種類により治療に対する反応性が異なることなどが明らかにされた。
これら予後因子に基づき、それぞれの患者に合った治療が行われるようになった。
すなわち診断時予後良好と予測される患者には副作用を考慮して必要最小限の治療を行い、予後不良な患者にはより強力な治療が行われる。

当面の目標はこの予後不良な患者をいかに救うかであるが、同時に予後良好な患者は晩期障害を残すことなく治療することも重要である。
白血病を克服した子供たちがどんどん成人に達し始めている。

患者を救うのみでなく、できるだけ正常に発育させることも常に考えて治療してゆかねばならない時代に来ている。
(平成4年 産経新聞連載記事)
日本版"マクドナルドハウス"を
アメリカにロナルドマクドナルドハウスという、がんの子供たちとその親のための宿泊施設がある。
四年前、日本の「がんの子供を守る会」の二十周年記念シンポジウムに招かれたフィラデルフィア小児病院のエバンス教授の講演で初めて知った。
アメリカでは各州に大きな小児病院があり、難病の子供たちの治療にあたっている。ここでは、あらゆる小児疾患に対する経験豊かな専門スタッフがそろっている。
国土が広いアメリカでは遠方から来ている患者が多いうえ、日本と比べ入院費が格段に高いため、厳しいがんの治療でさえ外来で行われることが多い。必然的に病院の近くに安い宿泊施設が必要となる。こうして建てられたのがロナルドマクドナルドハウスである。

名前にあるように、ハンバーガーのマクドナルドがスポンサーになっている。第一号は一九七四年にフィラデルフィアに建てられ、その後アメリカのみならず世界各国に広がり、現在約百ヵ所できている。
そこでは、がんと闘う子供たちは親とともに寝起きし、同じ苦しみを持つ他の家族と励まし合って生活している。
また多くの地元ボランティアが彼らを支えている。東京にもマクドナルドハウスをという話はあると聞いているが、地価が高くて実現しないらしい。

先のエバンス教授は講演の中で「お金持ちの日本にどうしてマクドナルドハウスができないか不思議だ。私が東京で乗ったエレベーターはほとんどがある有名電気メーカーのものであったが、こういう企業が寄付すべきでは」と力説していたのが印象的であった。
ボランティアや寄付行為に対する日米国民の意識の差は大きいようであるが、良い点は見習いたいものである。
(平成4年 産経新聞連載記事)